2023/07/18 17:00

音楽をとりまくコンテクストをさまざまな視点で照射する1冊──書評 : デヴィッド・バーン著『音楽のはたらき』

オトトイ読んだ Vol.14

オトトイ読んだ Vol.14
文 : imdkm
今回のお題
『音楽のはたらき』
デヴィッド・バーン : 著
野中モモ : 訳
イーストプレス : 刊
出版社サイト
Amazon.co.jp


 OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回は、元トーキング・ヘッズ、バンド解散後もソロ・アーティストとして数々の作品をリリースしてきたデヴィッド・バーンによる著書『音楽のはたらき』をとりあげます。ここ数年はソロ・アルバム『アメリカン・ユートピア』に端を発し、同名のブローウェイ・ショーへと派生、さらにこの舞台のドキュメンタリーがスパイク・リー監督による映画へと発展し、話題になりました。そんな彼が、空間やテクノロジー、お金などなど、ある音楽をその音楽たらしめる、されをとりまく文脈について、実にさまざまな視点から論じています。“オトトイ読んだ”、14冊目となる本作の書評は、その名の通りJ-POPをリズムという側面から解き明かした名著『リズムから考えるJ-POP史』などで知られるimdkmにお願いしました。(編)

音楽がどのように機能し、作用し、動作するのか?

──書評 : デヴィッド・バーン : 著『音楽のはたらき』──
文 : imdkm


 『音楽のはたらき』は、元トーキング・ヘッズとして知られ、ソロでも多彩な音楽活動を繰り広げてきたデヴィッド・バーンによる音楽論だ。原書では、2012年にハードカバー版が、2017年にソフトカバー版が出版されている(増補あり)(編注 : 今回の訳出はこちらの2017年の増補版が底本になっている)。バーンといえばブロードウェイでのパフォーマンスを映画化した『アメリカン・ユートピア』(2020年)も記憶に新しい。また、今年は音楽映画の名作として名高い『ストップ・メイキング・センス』の4Kリストア版の公開が控えている。
 本書は、実に多彩な全11章からなる。トーキング・ヘッズやバーンのファン(あるいはニューヨーク・パンク~ポストパンク・ファンも)にはたまらないであろう半自伝的な語りもあれば、ミュージシャンとしての実体験に基づく音楽ビジネスについてのレポートもある。しかし読みどころは、そうしたエピソードを通じて語られるさまざまな洞察と提言だろう。
 『音楽のはたらき』の原題は“How Music Works”。かなり広いニュアンスを含むことのできるタイトルだ。この本は、「音楽とはなにか」を問うものでは決してない。むしろ、音楽がどのように機能し、作用し、動作するのか? というコンテクストにこそ着目しているのだ。だからこそ、建築(空間)が音楽に与える影響から北米における音楽ビジネスの内実、そして紀元前にまで遡る音楽観のパースペクティヴまでが一冊のなかに同居する、かなり突飛でバラエティに富んだ内容が可能になっている。
 本書の特徴は、ノンリニアな構成だ。一本のきまった筋があるのではなく、本全体がゆるやかにつながる断章のまとまりのように構成されている。その結果、読み進めれば読み進めるほどに、音楽がいかに不定形でうつろいやすいものか(時間的にも、空間的にも、歴史的にも、文化的にも!)が浮き彫りになってくる。それゆえいささかとっちらかった印象もあるのだが、思わずアンダーラインを引きたくなる魅力的なアイデアと表現の多さが、そうした欠点を補って読者を惹きつけるポイントにもなっている。

多彩な視点から浮かびあがる音楽を巡る相互作用

 いくらか、注目したい章についてもコメントしておこう。たとえば第1章、「逆からの創造」。タイトルからはわかりづらいが、建築(空間)がいかに音楽のかたちに影響を与えるかを論じた章。空間によって音楽がつくられ、音楽のために空間がつくられる。そうした相互作用を、ときに「音楽」というフレームからも逸脱しながら大きな歴史的スケールで語られる。本書の顔にふさわしい章といえる。
 あるいは第3・4章「テクノロジーが音楽をかたちづくる パート1:アナログ」「同 パート2:デジタル」。「音楽とテクノロジーをいかに語るか」などというZINEをつくった身としては、そのものずばりのテーマについて語るこれらの章には注目せざるをえない。パート1で中心となるのは録音技術の台頭と、録音技術やその媒体の特性が音楽に与えた影響であり、パート2ではそれがデジタル化(録音も、制作現場も)されることによる可能性と弊害へと接続されていく。そうしたテーマをより自身のクリエイティヴなキャリアにひきつけて書いているのが第6章「レコーディングスタジオにて」で、そちらも面白い。
 別の角度から面白いのが第8章「ビジネスとファイナンス」。2000年代以降(日本と同様に)転換期を迎えたアメリカにおける音楽ビジネスのありようがあまりにリアルに、自分の経験から具体的に書いていることになにより驚かされる。デヴィッド・バーンの作品の収支をこんなに細かく見られるとは。
 しかしもっとも印象的なのは、アマチュアリズムに音楽の未来を託そうと提言する第10章「アマチュアたちよ!」だった。ここで論じられるのはもっぱら文化政策であり、公的・私的を問わない文化への援助のあり方だ。すでに庇護のもとにある(にもかかわらず苦境を強いられている)クラシックやオペラのようなエスタブリッシュされた文化でもなく、かといってそうした公共的な保護がなじまない産業化されたポップ・ミュージックでもなく、もっと別の角度から、自分の手で音楽を奏で、生み出していくことを尊ぶアマチュアリズムにこそ、バーンは望みを託しているように見える。そこには、DIYなやり方で、誰に習うでもなく手探りでミュージシャンとしての表現を見つけ出していったバーンのとてつもない実感がこもっている。
 改めていうと、この本は読んでいて楽しい本だ。図版も豊富だし、トピックも幅広い。通読するよりも、気になった章からつまみ読みするのがよいような本かもしれない。しかし、世界中のさまざまな文化に触れ、自分の創作に取り入れ、思索を深め……というバーンが辿った道すじを考えるとき、そうした立場に立つことが可能な西洋の、あるいはより固有にはアメリカの権威やその暴力性に対する反省のようなものがもうちょっとあってもいいんじゃないか、ともやっとしたりもするのだった。これは過大な要求だろうか? でも『アメリカン・ユートピア』のバーンだったら「たしかに」と言ってくれそうな気もするのだ。

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