圧倒的な「生々しさ」と「激情」──平庫ワカ『マイ・ブロークン・マリコ』──オトトイ読んだ
オトトイ読んだ Vol.1
オトトイ読んだ Vol.1
選・文 : 松島広人(AIZ)
今回のお題
『マイ・ブロークン・マリコ』
平庫ワカ : 著
KADOKAWA : 刊
出版社サイト
Amazon.co.jp
OTOTOYがビビッときた本、マンガを紹介する「オトトイ読んだ」スタートしました。音楽本を中心に……なんですが、今回はいきなり話題のマンガ、平庫ワカ『マイ・ブロークン・マリコ』の紹介です。音楽本はもちろん、それをとりまく時事ネタなノンフィクションやアート本などなど、音楽関連のものはもちろん、さまざまなトピックの書籍を紹介していきます。
注目の単刊完結の漫画作品
Web漫画やSNSの無料公開キャンペーンなど、漫画の読まれ方が多様化し続けている現在。「漫画はTwitterで1話を読んでから買う」という人も珍しくなく、全く新しい才能が日の目を見るチャンスが生まれている。
そのようなトレンドの中で注目したいのが、たびたびリリースされる単刊完結の漫画作品だ。1枚のアルバムを聴き通すような感覚で気軽に楽しめ、濃密な世界へディープに没入することができるスタイルだからこそ、漫画を普段読まない人々にも勧めたい。
今回は近年リリースされた単巻漫画のなかから、「これは読むべき!」と断言できる熱量にあふれた1作「マイ・ブロークン・マリコ」の魅力を伝えていく。
そのあらすじとは……
やさぐれたOLのシイノは、親友のマリコの自死をニュースで知る。
酷く荒んだ家庭で育ったマリコのことを想ううちに、シイノはマリコの「遺骨」を取り返すことで今度こそマリコを絶望から救いたい、と決意し、刺し違える覚悟で生家を訪れるが…。
友人の間柄を超えた、魂の結びつきと暴走する感情。死者と生者が紡ぐ前例の無いロードムービー。
平庫ワカ「マイ・ブロークン・マリコ」は、著者のデビュー作として2020年初頭にリリースされた。出版されるや否や、Twitterのトレンドに食い込み発売翌日に即重版、Web上から飛び出して各メディアを騒がせる事態にまで発展した。とはいえ、話題性作りとしてのキャッチーさは本作には無く、ただそこにあるのは目を背けたくなるリアルと、それに何とか抗おうとする"普通の人間"の有様だ。
圧倒的な生々しさと激情が紡ぐ「ままならない」ストーリー
本作「マイ・ブロークン・マリコ」の魅力は、とにかく圧倒的な「生々しさ」と「激情」に介在する。
マリコが受けるあまりにも生々しい家庭内暴力の表現、友情や愛にはカテゴライズできない主人公・シイノの激情。そもそも冒頭1ページ目から、ひとりの生者として市井でつつがなく食事を摂るシイノの姿と、すでに過去の出来事として処理されるマリコの自死報道が「生と死」の強烈なコントラストを演出している。
その後「マリコの敵」が誰であったかを思い出すシイノ。次に起こす行動がいったい何なのか、生唾を飲み込んでめくったページには「刺し違えたってダチの遺骨を救い出してやる」と理外の決意を胸に抱くシイノの姿が……。
と、ここまでがアバンとして読者に突き付けられるパートである。キャッチーで斬新な導入でこそあれ、優しさや親しみといったソフトさは無く苛烈なストーリーが始まることを読み手に突きつける。呆然→当惑→回顧のプロセスを経てシイノは遺骨と旅をする。死者とのロード・ムービーとして読むことも可能だ。
遺骨を抱えるシイノは、マリコと二人だけの一時を過ごすことを夢見る。だが、そこには多数の障壁が立ちはだかる。この「ままならなさ」こそがリアルで、誰もが失望感を抱く理想と現実の乖離を描くストーリーとも受け取れる。遺骨との逃避行は社会への抵抗であり。アクシデントは社会からの容赦ない追撃なのだ。
「マイ・ブロークン・マリコ」とセカイ系
90年代から00年代にかけて発展した「セカイ系」というムーブメントがある。主人公とヒロイン、「ぼく」と「きみ」の二者が紡ぐミクロな関係性に焦点を合わせ、世界の危機や崩壊といった問題との対峙を描く作品群である。(※新世紀エヴァンゲリオンが嚆矢となった「90年代的」なジャンルでもある)
従来、相対する「敵」や「難題」には説明や答えが用意されるのが通例であったが、セカイ系作品においてそれらは抽象化され、あくまでも主軸は主人公たちの思考に委ねられる。 閉鎖的で内向的なジャンルだが、「マイ・ブロークン・マリコ」はその系譜に名を連ねる作品のひとつであるとも読み取れる。
マリコの命を奪ったのは苛烈な家庭内暴力だったが、「なぜそれが起きてしまったか」という理由やプロセスには触れられることがない。また、マリコがたった一つの希望としてシイノへ依存する姿や、シイノがマリコの遺骨に縋る姿は外界との接続を拒み、二人の存在とそれ以外として対立関係にある。
降りかかる理不尽な苦難にどう立ち向かい、どのようにして自分たちの誇りを守るのか?という本作のテーマは、2020年代以降のセカイ系を紐解く上できわめて重要な存在であろう。
「答えのない苦難」に苦しむ人の支えになる作品
本作のテーマは「答えのない苦難」であるように思われる。ある事象に対して自死という解答を選択したマリコ当人は作品の内からも外からも去っており、なぜ?に対する明確な答えはどこにもない。
マリコを追うシイノはその答えを読者と共に探っていくのだが、果たしてそれが正しいかどうかも分からない。作品のストーリーには客観性が含まれておらず、徹底的に当惑の中でもがく人間の姿だけが描写される。
それは、私たちが日頃さまざまな局面で対峙する「答えのない苦難」との向き合い方のヒントのようにも読み取れるだろう。
主人公・シイノは不器用ながら真摯に苦難と向き合っている。それが例え独り善がりな姿に写ったとしても、まともじゃないように見えたとしても、シニシズムに逃げるより遥かに美しい姿勢だ。
死をもって永遠となったマリコと対称的な、生にもがくシイノの姿。それは、不安定な世界で糊口を凌ぐ私たちの日々を支えてくれる杖のような存在に思える。
「理不尽な外圧に抵抗して生きることは正義なのか?」といった疑問に寄り添うことはせず、そうやって突き進む手本を示してくれる。
例えば、逃避行の準備中に会社への連絡を心配したり、養命酒が持ち物に必要か悩んだりするシイノの姿。これはまさしく、普段「くだらない」と一蹴される日常的な悩みと、他者の理解を得られないパーソナルな悩みが同じ「苦難」として描写されているシークエンスだろう。ドライだが温かい作品だと心底思う。