CROSS REVIEW 1 『FNCY BY FNCY』
『あえて余韻に浸りたくなるアルバム』
文 : imdkm
鎮座DOPENESSの歌う〈新しい日々に言葉探して〉という一節からこのアルバムは始まる。新型コロナ禍のなかでさかんに叫ばれた“ニューノーマル”をタイトルに掲げる“FU-TSU-U (NEW NORMAL)”だ。この曲でFNCYの3人が探しあてている言葉はけっしてペシミスティックなものではないけれども、無理に自分を奮い立たせるようなものでもない(いわんや他人をや)。さみしさや不安や戸惑いをにじませながらも、清々しく「広がるその先に何が待ち受けてるのか?」と「新しい日々」に向き合う。レビューでこんなことを言うのも妙なのだけれど、なんだかすごく素直で率直な言葉のように感じられた。アルバム全体についても同じ印象がある。
あえて図式的に言ってしまえば、ファースト・アルバムの『FNCY』が魅力的なフィクションの世界を描き出していた一方で、『FNCY BY FNCY』には生活の感触というか、不思議なストレートさがある。それはリアリティとか等身大とかいうことではなくて、ある表現に対して衒いがあるかどうか、みたいな話だ。たとえばスキット。前作では、架空のラジオ番組のイントロダクションを模したスキットや、ラジオドラマの一幕を切り出したようなスキットが収められて、アルバムに一枚「演じる」というレイヤーをあえてつくっていた。今回もスキットは収録されているけれども、そうしたメタな遊びとは性格がぜんぜん違う。本作に収められたスキット“cider skit”は、ざらざらとしたローファイな録音で切り取られたざわめきと会話の断片だ。
だからこそ、触れることへの渇望と不安に悶えるような“CONTACT”の苦く甘い味わいが真に迫ってくるのだろうし、ヒップホップへの憧れを語る「あなたになりたい」にこれほどの熱を感じられるのだろう。“あなたになりたい”のなかで、鎮座DOPENESSのヴァースで「僕等HIPHOPが好きで好きで堪らなくて」という言葉がさらりと聞こえてくるときのフレッシュな驚きも、「憧れてます」と3人で断言するフックの軽やかな凄みも、本作を貫く衒いのなさがあってこそのものだ。
じゃあ『FNCY BY FNCY』が遊び心のないシリアスな言葉のアルバムなのかというと、聴いてもらえればわかるとおりそんなことはなく、「あなたになりたい」のサウンドやリリックにはりめぐらされるオマージュや、〈食〉をモチーフにした“FOOD GUIDANCE”のオフビートなユーモアには思わず頬が緩んでしまう。
サウンド面からいえば、ブーティ・ハウスにディープなフィーリングを加えたようなパーティ・チューンの「COSMO」や、ど真ん中のヒップハウス「REP ME」は、ダンス・ミュージックとヒップホップ、というかダンス・ミュージックとしてのヒップホップを実践するFNCYの面目躍如というべき楽曲。文句なしのフェイヴァリットだ。こうして書いてみて気づいたけれど、“FU-TSU-U(NEW NORMAL)”、“TOKYO LUV”といったアルバムの顔になるような印象的な楽曲のビートを手掛けたJengiはもちろん、grooveman Spot、BTB特効といったプロデューサーや、ギターで参加したKASHIFの仕事も本作にとってとても重要ではあるものの、個人的に惹かれるのはG.RINAがビートを手掛けた楽曲だ。
アルバムの最後を飾るのは、Jengiのビートによる“New Days”。未知なる新しい世界への不安をスリルに読み替えてワンダーランドに向かった“FU-TSU-U (NEW NORMAL)”とは対照的に、この曲は新しさがもたらす変化と忘却へほろ苦いまなざしを向ける。この曲のおかげか、『FNCY BY FNCY』はすぐさまリピートしたいというよりも、むしろ再生が終わったあとにあえて余韻に浸りたくなるアルバムだ。これみよがしのカタルシスで圧倒するのではなく、少しずつ現実へと軟着陸させるようなこの曲の配置。初出の「TOKYO LUV EP」では1曲目だったことを思うと、『FNCY BY FNCY』の白眉はこの構成なのかも、とすら思える。リピートや自動再生を切って聴いてほしい。
imdkm
ライター、批評家。ティーンエイジャーのころからビートメイクやDIYな映像制作に親しみ、Maltine Recordsなどゼロ年代のネットレーベルカルチャーにいっちょかみする。ダンスミュージックを愛好し制作もする立場から、現代のポップミュージックについて考察する。単著に『リズムから考えるJ-POP史』(blueprint、2019年)。
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