LOVE/CULT

SALVAGED
High Resolution

SALVAGED

Dance/Electronica

yahyel

2023年に3rdアルバム”Loves & Cults” を発表し、復活を果たしたyahyel。アルバムタイトルを冠した東名阪ツアーを成功させ、バンドとしての音像をより生々しく進化させた姿は、幼年期を超えた、共同体としての成熟を感じさせるものとなった。 愛と狂信という言葉を対に立てることで、対岸の人間との類似性を示し、時代の虚しさと希望を暗示したアルバムの後、テーマは”新しい形の共存”へと向かっていく。不確かなまま、個々のまま、我々はどのようにして共存し、対話への道筋を見出すのか。我々は、それぞれの曖昧さと対峙し、見つめ直すことができるのか? かつて、古今東西のベースミュージックを吸収した、”無機質”とまで形容される削ぎ落とされた音像が特徴だったバンドは、演奏という肉体性をもって、より自由で血の通ったyahyelとしか形容できないロックを定義した。本作は、ダブ、ミニマルミュージック、AORなどからの影響も見て取れるように、それぞれメンバーがそれぞれの現場から持ち寄った要素が更に詰め込まれている。 何かを断ち落とすための変化ではなく、拾っていくための変化。”SALVAGED(遺されたものを引き上げる)”という言葉をタイトルにしたEPは、1stアルバム”Flesh and Blood” の楽曲群を再編集することで、次の新たなダイナミズムと進化の兆しを探す、バンドとしての軌跡が詰まっている。

Loves&Cults
High Resolution

Loves&Cults

Dance/Electronica

yahyel

yahyel5年振りの新作アルバム、”Loves & Cults” 東京を中心に活動するyahyelが5年の歳月をかけた最新作”Loves & Cults”をリリースする。 2015年に忽然と現れたyahyelは、10年代のポストダブステップ的な感性、出自など関係ないような独特のボーカルライン、猟奇的なライブパフォーマンス、予想外の映像作品など当時の真新しいアイディアを詰め込んだ特異な存在だった。”日本の音楽≒J-Pop”という呪いにかかった東京の街へのアンチテーゼは、”破竹の勢い”とも形容されるほどだった。そして、世界的なパンデミックを目前にした2019年、yahyelは突然の沈黙に入る。本人が”糸口の見えない世界の混沌に滅入っていた”と認めるように、 社会と音楽の一進一退の歩みは、彼らにそれだけのインパクトを残したものだった。再定義、線引き、分裂、その中での希望と失望。社会=共同体が、それぞれの正義を掲げて両極化に突き進んだ赤い熱の時代。双方の主張はフェイクニュースと断じられ、仮想敵はカルトじみた存在に仕立てられ、身内はラブの名の下に扇動される。人の、あらゆる事象への執着が愛から来るものなのか狂信からくるものかは、あくまで不完全な自我が生み出す主観的な感覚でしかなく、社会という相対性の中では非常に脆いものである。音楽という営みなど、カウンターの霞に追いやられ、もれなくyahyelもその問題に向き合っていく。バンドを小さな共同体として見た場合、我々は一つの社会として何を結論づけるのか。なぜ、我々はここで音を鳴らすのか。“Loves & Cults”は愛と狂信の表裏一体さを意識せずにはいられない、それでも人と人が対話をするという理想を捨てきれない、人間の”群れ”の中に傍観者として立ち尽くすことの憂鬱をテーマにした作品となっている。おどろおどろしい合唱とサイバーな儀式のような狂騒が印象的なオープニング曲 ”Cult”では、痛烈にカルトじみた世相を皮肉りながらも、その混沌とした音像は迷いの中に立ち尽くしている。アルバムのストーリーはすでにシングルカットされている”Highway”、”ID”などを通過しながら、形而上学的な問いの中で、骨太で90年代のアートロックのような文脈で深まっていく。完全なロックチューンとなった”Four”は、まさにこの時期のyahyelの進化を如実に表しており、”4人でバンドとして音楽をする”ということに対するアンサーになっているともとれるだろう。個人主義から共同体へという流れはまさに20年代らしいが、その結論が一筋縄ではいかないのがyahyelらしく、バンドのリアリティを内包しているとも言えるのかもしれない。そして、アルバムのストーリーは一つの臨界点、アンセム”Love”へと導かれる。アルバムタイトルにある通り、”Cult”への皮肉から始まった物語は、”Love”は何なのかという問いを残して終わるのだ。yahyelの作品は、3作目となった今でも一貫したテーマを周回している。それは人間の不確かさを巡る、誠実さへの問いかけである。今作がこの5年間の間に、人間が新たに生み出した怪物に向き合っているという意味で、時代に対するyahyelの解答ということにもなるだろう。それは結果的に、かつてのような個々を重んじるプレイヤーの集まりとしてではなく、摩擦の先にある、バンド(≒共同体)”yahyel”しか鳴らせない音像として結実している。”Loves & Cults”は、まさに長い時間をかけて固まっていった大陸のような作品であり、その歪で予定調和のない造形の中に込められた願いが、異質なリアリティとして浮き上がる”怪作”となっている。

SALVAGED
Lossless

SALVAGED

Dance/Electronica

yahyel

2023年に3rdアルバム”Loves & Cults” を発表し、復活を果たしたyahyel。アルバムタイトルを冠した東名阪ツアーを成功させ、バンドとしての音像をより生々しく進化させた姿は、幼年期を超えた、共同体としての成熟を感じさせるものとなった。 愛と狂信という言葉を対に立てることで、対岸の人間との類似性を示し、時代の虚しさと希望を暗示したアルバムの後、テーマは”新しい形の共存”へと向かっていく。不確かなまま、個々のまま、我々はどのようにして共存し、対話への道筋を見出すのか。我々は、それぞれの曖昧さと対峙し、見つめ直すことができるのか? かつて、古今東西のベースミュージックを吸収した、”無機質”とまで形容される削ぎ落とされた音像が特徴だったバンドは、演奏という肉体性をもって、より自由で血の通ったyahyelとしか形容できないロックを定義した。本作は、ダブ、ミニマルミュージック、AORなどからの影響も見て取れるように、それぞれメンバーがそれぞれの現場から持ち寄った要素が更に詰め込まれている。 何かを断ち落とすための変化ではなく、拾っていくための変化。”SALVAGED(遺されたものを引き上げる)”という言葉をタイトルにしたEPは、1stアルバム”Flesh and Blood” の楽曲群を再編集することで、次の新たなダイナミズムと進化の兆しを探す、バンドとしての軌跡が詰まっている。

Loves&Cults
Lossless

Loves&Cults

Dance/Electronica

yahyel

yahyel5年振りの新作アルバム、”Loves & Cults” 東京を中心に活動するyahyelが5年の歳月をかけた最新作”Loves & Cults”をリリースする。 2015年に忽然と現れたyahyelは、10年代のポストダブステップ的な感性、出自など関係ないような独特のボーカルライン、猟奇的なライブパフォーマンス、予想外の映像作品など当時の真新しいアイディアを詰め込んだ特異な存在だった。”日本の音楽≒J-Pop”という呪いにかかった東京の街へのアンチテーゼは、”破竹の勢い”とも形容されるほどだった。そして、世界的なパンデミックを目前にした2019年、yahyelは突然の沈黙に入る。本人が”糸口の見えない世界の混沌に滅入っていた”と認めるように、 社会と音楽の一進一退の歩みは、彼らにそれだけのインパクトを残したものだった。再定義、線引き、分裂、その中での希望と失望。社会=共同体が、それぞれの正義を掲げて両極化に突き進んだ赤い熱の時代。双方の主張はフェイクニュースと断じられ、仮想敵はカルトじみた存在に仕立てられ、身内はラブの名の下に扇動される。人の、あらゆる事象への執着が愛から来るものなのか狂信からくるものかは、あくまで不完全な自我が生み出す主観的な感覚でしかなく、社会という相対性の中では非常に脆いものである。音楽という営みなど、カウンターの霞に追いやられ、もれなくyahyelもその問題に向き合っていく。バンドを小さな共同体として見た場合、我々は一つの社会として何を結論づけるのか。なぜ、我々はここで音を鳴らすのか。“Loves & Cults”は愛と狂信の表裏一体さを意識せずにはいられない、それでも人と人が対話をするという理想を捨てきれない、人間の”群れ”の中に傍観者として立ち尽くすことの憂鬱をテーマにした作品となっている。おどろおどろしい合唱とサイバーな儀式のような狂騒が印象的なオープニング曲 ”Cult”では、痛烈にカルトじみた世相を皮肉りながらも、その混沌とした音像は迷いの中に立ち尽くしている。アルバムのストーリーはすでにシングルカットされている”Highway”、”ID”などを通過しながら、形而上学的な問いの中で、骨太で90年代のアートロックのような文脈で深まっていく。完全なロックチューンとなった”Four”は、まさにこの時期のyahyelの進化を如実に表しており、”4人でバンドとして音楽をする”ということに対するアンサーになっているともとれるだろう。個人主義から共同体へという流れはまさに20年代らしいが、その結論が一筋縄ではいかないのがyahyelらしく、バンドのリアリティを内包しているとも言えるのかもしれない。そして、アルバムのストーリーは一つの臨界点、アンセム”Love”へと導かれる。アルバムタイトルにある通り、”Cult”への皮肉から始まった物語は、”Love”は何なのかという問いを残して終わるのだ。yahyelの作品は、3作目となった今でも一貫したテーマを周回している。それは人間の不確かさを巡る、誠実さへの問いかけである。今作がこの5年間の間に、人間が新たに生み出した怪物に向き合っているという意味で、時代に対するyahyelの解答ということにもなるだろう。それは結果的に、かつてのような個々を重んじるプレイヤーの集まりとしてではなく、摩擦の先にある、バンド(≒共同体)”yahyel”しか鳴らせない音像として結実している。”Loves & Cults”は、まさに長い時間をかけて固まっていった大陸のような作品であり、その歪で予定調和のない造形の中に込められた願いが、異質なリアリティとして浮き上がる”怪作”となっている。

Love
High Resolution

Love

Dance/Electronica

yahyel

東京を中心に活動するyahyelが最新アルバムから”Love” をシングルカットし、先行リリース。 2022年11月に”Highway”、12月に”ID”と立て続いてシングルをリリースし、最新アルバムへの予感を感じさせていたyahyel。 ”Loves & Cults”というアルバムタイトルがすでに公開され、愛と狂信の類似性についてを主題とした5年間の内省のプロセスに注目が集まっている。 アルバムに先駆けてリリースされる”Love”はそのアルバムの後半を彩る楽曲であり、アルバムの音楽的なストーリーの結論を描くものとなっている。 しっとりとしたピアノで始まる美しいなバラッドとして始まった楽曲は、機械的なコーラスワークや909のマシンドラム、太く伸縮性のあるサブベースが重なることによってダイナミックな展開を迎える。 冷たく、かつ激情的な従来のyahyelらしいカタストロフィを感じさせながらも、バンドの新たな有機性の形を提示する、2023年のアンセムチューンとなっている。 ーーーーー I know I don’t care about It like I used to say as a form of redemption (この間まで言っていたことに、今は気にもとめない自分に気づいている。贖罪の一つの形として。) 人の人生における、あらゆる事象への執着が愛から来るものなのか狂信からくるものかは、あくまで不完全な自我が生み出す主観的な感覚でしかなく、社会という相対性の中では非常に脆いものである。 「残ったものを愛すしかない、忘れることでしか赦すことはできない」というテーマは前作品”Human”でyahyelが結論づけたものと似てはいるものの、本作”Love”では、社会の中の1個人という人間という”群れ”の視点が介在している。 社会的な両極化の中、双方の主張がフェイクニュースと断じられ、敵をカルトじみた存在へと印象付け、身内をラブの名の下に扇動した2020年以降の世相の中で、”Love”という楽曲は仄暗い光と闇を投げかける。

Love
Lossless

Love

Dance/Electronica

yahyel

東京を中心に活動するyahyelが最新アルバムから”Love” をシングルカットし、先行リリース。 2022年11月に”Highway”、12月に”ID”と立て続いてシングルをリリースし、最新アルバムへの予感を感じさせていたyahyel。 ”Loves & Cults”というアルバムタイトルがすでに公開され、愛と狂信の類似性についてを主題とした5年間の内省のプロセスに注目が集まっている。 アルバムに先駆けてリリースされる”Love”はそのアルバムの後半を彩る楽曲であり、アルバムの音楽的なストーリーの結論を描くものとなっている。 しっとりとしたピアノで始まる美しいなバラッドとして始まった楽曲は、機械的なコーラスワークや909のマシンドラム、太く伸縮性のあるサブベースが重なることによってダイナミックな展開を迎える。 冷たく、かつ激情的な従来のyahyelらしいカタストロフィを感じさせながらも、バンドの新たな有機性の形を提示する、2023年のアンセムチューンとなっている。 ーーーーー I know I don’t care about It like I used to say as a form of redemption (この間まで言っていたことに、今は気にもとめない自分に気づいている。贖罪の一つの形として。) 人の人生における、あらゆる事象への執着が愛から来るものなのか狂信からくるものかは、あくまで不完全な自我が生み出す主観的な感覚でしかなく、社会という相対性の中では非常に脆いものである。 「残ったものを愛すしかない、忘れることでしか赦すことはできない」というテーマは前作品”Human”でyahyelが結論づけたものと似てはいるものの、本作”Love”では、社会の中の1個人という人間という”群れ”の視点が介在している。 社会的な両極化の中、双方の主張がフェイクニュースと断じられ、敵をカルトじみた存在へと印象付け、身内をラブの名の下に扇動した2020年以降の世相の中で、”Love”という楽曲は仄暗い光と闇を投げかける。

ID
High Resolution

ID

Dance/Electronica

yahyel

yahyel / ヤイエル 怒涛のシングルカット”ID” by yahyel 東京を中心に活動するyahyelが新作シングル”ID” をリリースする。 2022年も終わりに近づく11月に突如として 4年の沈黙を破り、新たな始動の時を告げたシングル”Highway”から約1ヶ月。 堰を切ったようなペースで噴出するyahyelという名の東京のノイズが止まらない。 冒頭から鳴り響く太いマシンのキックが規則的な骨組みを作り、フェーズが揺蕩うシネマティックなシンセシスと跳ねるようなドラムスの上で、咆哮するファルセットと炸裂するギターがあまりにも肉感的な情緒を加えていく。2015年当初の電子音楽を基礎にしたベッドルームミュージックのようなサウンドを思い浮かべているのなら、あなたは完全に裏切られることになる。yahyelは、かつてのNine Inch Nails、Depeche Modeのような先人たちのように、”バンド”としての生身の肉体性と、”電子音楽”というより個人的で内省的なプロセスの間で、誰のものでもない真新しいアイデンティティを模索しているのだ。 ”ID”は言わずもがな《Identification=身分証明》の略であり、社会での相対的な個人の”証明”を表す言葉だ。 --- “There will never be a trace behind. When I’m by myself, where do I go? (後ろにはどんな形跡も残らない。独りの時に、私はどこへ行くの?)” 変革の中、明確なスタンスを示すことが求められる新世界では、バーチャルの重要性が増すと共に、主観ではなく相対的な個人の在り方ばかりが一人歩きする。我々は首元にIDをぶら下げ、孤独な時間に喘いでいる。 久々のリリースとなった、メンバー山田健人監督のMVでは、匿名という枷を外した各メンバーが、”バンド”としての演奏を見せるyahyelの新機軸を感じるものになっている。清水舞手の鬼気迫るコンテンポラリーダンスを挟むようにして、メンバーが演奏に没頭する映像では、同じ赤い部屋、同じ肌色の衣服、同じ楽曲を演奏しながらも、それぞれがあくまで”独り”として回る円盤に乗っている。バンドというオーガニズムをミクロな社会に例えれば、その活動はそれぞれのアイデンティティとアイデンティフィケーションを巡る、終わりなき逡巡の儀式なのかもしれない。

ID
Lossless

ID

Dance/Electronica

yahyel

yahyel / ヤイエル 怒涛のシングルカット”ID” by yahyel 東京を中心に活動するyahyelが新作シングル”ID” をリリースする。 2022年も終わりに近づく11月に突如として 4年の沈黙を破り、新たな始動の時を告げたシングル”Highway”から約1ヶ月。 堰を切ったようなペースで噴出するyahyelという名の東京のノイズが止まらない。 冒頭から鳴り響く太いマシンのキックが規則的な骨組みを作り、フェーズが揺蕩うシネマティックなシンセシスと跳ねるようなドラムスの上で、咆哮するファルセットと炸裂するギターがあまりにも肉感的な情緒を加えていく。2015年当初の電子音楽を基礎にしたベッドルームミュージックのようなサウンドを思い浮かべているのなら、あなたは完全に裏切られることになる。yahyelは、かつてのNine Inch Nails、Depeche Modeのような先人たちのように、”バンド”としての生身の肉体性と、”電子音楽”というより個人的で内省的なプロセスの間で、誰のものでもない真新しいアイデンティティを模索しているのだ。 ”ID”は言わずもがな《Identification=身分証明》の略であり、社会での相対的な個人の”証明”を表す言葉だ。 --- “There will never be a trace behind. When I’m by myself, where do I go? (後ろにはどんな形跡も残らない。独りの時に、私はどこへ行くの?)” 変革の中、明確なスタンスを示すことが求められる新世界では、バーチャルの重要性が増すと共に、主観ではなく相対的な個人の在り方ばかりが一人歩きする。我々は首元にIDをぶら下げ、孤独な時間に喘いでいる。 久々のリリースとなった、メンバー山田健人監督のMVでは、匿名という枷を外した各メンバーが、”バンド”としての演奏を見せるyahyelの新機軸を感じるものになっている。清水舞手の鬼気迫るコンテンポラリーダンスを挟むようにして、メンバーが演奏に没頭する映像では、同じ赤い部屋、同じ肌色の衣服、同じ楽曲を演奏しながらも、それぞれがあくまで”独り”として回る円盤に乗っている。バンドというオーガニズムをミクロな社会に例えれば、その活動はそれぞれのアイデンティティとアイデンティフィケーションを巡る、終わりなき逡巡の儀式なのかもしれない。

Highway
High Resolution

Highway

Dance/Electronica

yahyel

東京を中心に活動するエレクトロユニット、yahyelが4年振りの新作シングル、”Highway”をリリースする。 東京という閉鎖的なカオスの中に突如として現れ、 世界の電子音楽のリアリティと共鳴したユニークな表現で瞬く間にプロップスを高めたyahyel。匿名性をテーマにしたデビューアルバム”Flesh and Blood”、あえてそのベールを脱ぐことで”個のアイデンディティ”を抉り出したセカンド”Human”。一見、矛盾したような正反対のアプローチの中で、yahyelの通底した力学となってきたのは、”社会属性の中で埋没する個人の機微、感情”を切実に拾いあげようとする、ほの暗く無機物と有機物が入り混じったような音の色味にある。 ベースミュージックを基調とした美しい規則性と、古い火祭りのような熱源を持ったシングル”TAO”から4年。世界は未曾有のパンデミックを経て、愛憎の中、扇情的で無軌道、よもやディストピアと呼べるような混沌へと向かった。 かつて予見したような世界で、不気味なほどの沈黙を保っていたyahyelは今、何を思うのか? 再始動の初作として選んだのが今作”Highway”は、yahyelらしい2ステップをインダストリアルにアップデートした鋭く洗練されたダンスミュージックの感覚と、皮肉さえ感じる90年代に巻き戻ったようなバンドサウンド、その両面が入り乱れながら、変わらず切実なメロディを引き立てている。孤独と客観。20年代の狂騒を切り裂く道のようなダークポップで始まった、yahyelの新たなフェーズから目が離せない。

Highway
Lossless

Highway

Dance/Electronica

yahyel

東京を中心に活動するエレクトロユニット、yahyelが4年振りの新作シングル、”Highway”をリリースする。 東京という閉鎖的なカオスの中に突如として現れ、 世界の電子音楽のリアリティと共鳴したユニークな表現で瞬く間にプロップスを高めたyahyel。匿名性をテーマにしたデビューアルバム”Flesh and Blood”、あえてそのベールを脱ぐことで”個のアイデンディティ”を抉り出したセカンド”Human”。一見、矛盾したような正反対のアプローチの中で、yahyelの通底した力学となってきたのは、”社会属性の中で埋没する個人の機微、感情”を切実に拾いあげようとする、ほの暗く無機物と有機物が入り混じったような音の色味にある。 ベースミュージックを基調とした美しい規則性と、古い火祭りのような熱源を持ったシングル”TAO”から4年。世界は未曾有のパンデミックを経て、愛憎の中、扇情的で無軌道、よもやディストピアと呼べるような混沌へと向かった。 かつて予見したような世界で、不気味なほどの沈黙を保っていたyahyelは今、何を思うのか? 再始動の初作として選んだのが今作”Highway”は、yahyelらしい2ステップをインダストリアルにアップデートした鋭く洗練されたダンスミュージックの感覚と、皮肉さえ感じる90年代に巻き戻ったようなバンドサウンド、その両面が入り乱れながら、変わらず切実なメロディを引き立てている。孤独と客観。20年代の狂騒を切り裂く道のようなダークポップで始まった、yahyelの新たなフェーズから目が離せない。

TOP