高石ともやとザ・ナターシャー・セブン

Discography

伝説中の伝説、高石ともやとザ・ナターシャ・セブン1周年リサイタル(1972年2月6日、京都・シルクホール)、3時間に渡るその模様をMCまで漏らすことなく3枚組のCDに編集しました。オンエア用に録音された6ミリのマザーテープからの復刻、音質・内容ともに文句ナシの内容です。メンバーは、高石ともや、金海孝寛、城田じゅんじ、という珍しい編成ながら3人ならではのアイデアに溢れ熱く素晴らしい演奏が繰り広げられます。さらにはゲストで人気カントリーシンガー、諸口あきらが参加し4曲を披露、花を添えている。 [KBS京都・秘蔵音源シリーズ] 京都にあるラジオ・テレビ局、KBS京都(近畿放送)は、東京のキー局が制作した番組をネットする地方局が多い中、独自の番組制作を続け、特に音楽においては関西の音楽シーンを応援するなど独自路線を貫いてきた。そのKBSにあって1960年代から音楽番組を担当し、発売中止になったフォーク・クルセイダーズの「イムジン河」をラジオでかけ続けるなどの伝説のディレクター、川村輝夫氏が制作し、そして保管してきた多くの6ミリテープから幾つかの優れた音楽を初めて復刻していくものである。[高石ともや(とザ・ナターシャ・セブン)] 1941年生まれ。1966年、フォークコンサート初出演。「かごの鳥ブルース」(ビクター)でデビュー、メッセージソングの旗手として全国を歌い巡る。1968年、「受験生ブルース」「主婦のブルース」がヒット。1969年、反戦フォークの終りを決意、12月の高石ともや冬眠コンサート(大阪フェスティバルホール)を最後にソロ活動停止。1970年、渡米し帰国後、福井県名田庄村に移住。フォークソングの原点を探し求め、バンジョー奏者の城田じゅんじと出会い、1971年1月、バック・ステップ・カントリーバンドを5人組で編成、2月に高石ともやとザ・ナターシャー・セブンと改名し、日本のフィールドにおけるフォークソングの実践を試みるべく活動開始。1973年、坂庭省悟が、1975年、木田高介が参加し最盛期を迎える。1972年12月、東芝音工よりLP「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」発売、京都の夏の行事となった宵々山コンサートは1973年より毎年開催。アメリカの古いフォークソングを採譜して曲集にした「ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ・ソングブック」(1964年)に倣い、楽譜の写植から印刷まで全て手作りで、107曲を収めた「107 SONG BOOK」を1976年から1979年まで11枚のレコードで発表、レコード大賞企画賞を受賞した。木田高介の死去(1980年)や城田、坂庭の脱退などにより1985年、活動停止。1998年、高石、城田、坂庭で活動したり、2003年の坂庭の死去後はザ・ナターシャー・セブン第二章として2人でライブを行った。その音楽は、バンジョー、ギター、マンドリン、フィドル、ベース、ピアノなどの演奏で全員がボーカルを担当、ブルーグラスやアメリカン・トラディショナル・フォークをベースに、その模倣ではなく、日本の文化に即した、しかもコンテンポラリーなもので、その永遠性は国内外に評価が高い。[諸口あきら] 1970年代にカントリーシンガーとして一世を風靡。また放送タレントとして「MBSヤングタウン」(毎日放送)、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)など人気を博した。代表曲「リターントゥパラダイス」。2017年没。

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