すべての頭の悪い若者のためのラヴ・ソング集
──『バイエル』に “不要不急”という曲がありましたね。
志磨:我ながらすごくいい曲だなと思ってます(笑)。「不要不急って……それ、ぼくそのものやん!」って、自分を言い当てる言葉がやっと見つかった気がして。
──ということは、このアルバムでも不要不急をやりたかった?
志磨:そうです!
──前作のインタヴューで「これは怒りのアルバムです」と言っていましたが、これもある意味ではそうなのかもしれませんね。
志磨:なにかに対する抵抗ではあるので。もちろんコロナに対する抵抗でもあるし、それで混乱していがみ合う世間のムードに対してもだし。
──その際に選んだのが、もやがかかったようなドリームポップ・サウンドというのは象徴的ですよね。空間の広がりが『バイエル』とは正反対で。
志磨:『バイエル』では、本来なら音楽の邪魔になるような壁に反響する音をそのまんま消さずに入れたんです。そうすると、人間の耳っていうのはよくできてるもんで、これは小さい部屋で録ってるなって聞いて分かるんですね。ピアノが一台あるだけのすごく狭い部屋に隔離されているんだなって、ちゃんと聞こえるんです。それがアルバムのテーマととても合っていた。今回は逆に、隔てる壁もなくどこまでも音が伸びていくような音像にしたんですが、現代社会にはだいたいどこにでも壁とか建物とかがあるんで、音がどこまでも無限に伸びていくなんてことはありえない。やっぱりどこか非現実的なんですよ。それがさっき話した、空想上の「いつかどこかにあった夏」というイメージにぴったりだったのかもしれない。
──ここからは具体的な曲の話をうかがっていきたいんですが、冒頭の“ナイトクロールライダー”がですね、とある曲を非常に強く連想させるんですよ。
志磨:(笑)。はい、はい。
──そう思っていたら資料に載っている志磨さんの文章にウォン・カーウァイの名前があって、「タネ明かししてるやん!」と。
志磨:あんまり気づいてもらえないとかえって恥ずかしいなと思って、自分で言っちゃいました(笑)。ちょうど8月から4Kでリヴァイヴァル上映してますし。さっき言った「いつかの夏」みたいなイメージを自分のなかでこねくり回してたら、やっぱりぼくが10代だったころのポップスのサウンドっていうのが切っても切れないものだったんですね。フェイ・ウォンのあの曲は、自分のなかの90年代っぽさが詰まってるような曲なので、ちょっと自分流にオマージュしてみたいな、と思ってやってみました。
──担当編集の梶野さん(1998年生まれ)は知らないと思いますけど、生まれる4年前に『恋する惑星』という香港映画が日本で大ヒットしたんです。そのテーマ曲が、主演のフェイ・ウォンが歌った“夢中人”といって、クランベリーズの“Dreams”のカヴァーでね。
志磨:それまで香港映画っていうとカンフー!みたいなイメージしかなかったんですけど、ウォン・カーウァイの映画はすごくおしゃれだったんですよね。映像の雰囲気はもちろん、ファッションやシチュエーションも。
梶野:そうなんですね。知りませんでした。
──やっぱり狙い通りでしたか。逆に言うと、誰も気づいてくれなかったらちょっと恥ずかしいという(笑)。
志磨:このアルバムの「架空の短編映画のサウンドトラック」っていうコンセプトがわかりやすくなるかなと思って、1曲目に持ってきました。それになんだかちょっといまっぽさもあるというか、ひさびさに“夢中人”を聞いて「これ、いま聴くとちょっとかっこいいかも」って思ったのもあって。
──志磨さんは毛皮のマリーズ時代から、『ティン・パン・アレイ』とか『ジャズ』とか、ポップ・ミュージックの歴史を遡るように音楽を作ってきましたよね。その人がいまこの音を、という意外性がありました。
志磨:ぼく、いままでシンセサイザーってものを信用してなかったんですよ。シンセサイザーって、バイオリンでもトランペットでもオルガンでも、どんな楽器の音もこれ一台で再現できますよ、っていう、便利な音のバンクですよね。本物ではない、シミュレートした音。言ってしまえばイミテーションですよね。だけどぼくは、自分が生まれるより前の音楽を、自分が生まれてくる前からある楽器で、その時代のように録音することにロマンを感じる人間なので、だから自分の録音には本物のオーケストラとか、本物のオルガンとか、わざわざ古い機材を使ったりしてたし、そこにイミテーションの音が混ざるのがイヤだったんですよ。
──うんうん。そう言っていましたよね。
志磨:「わー、昔のレコードと同じ音がする! やったー!」っていうのが喜びだから、シンセサイザーなんか見たくもない、ぼくの前でシンセサイザーのシも口にするなよ、って思ってたんですけど(笑)。今回、なぜかどうしてもシンセサイザーをたくさん使いたくなったんです。こじつけるなら、さっき言った空想的、夢想的なストーリーを、わざと本物じゃない音色を使って、非現実的なきらびやかさで彩りたかったということになるんですかね。
──80年代以降の音像を正面切ってやったのははじめてですよね。
志磨:たぶんはじめてです。リヴァーブをたっぷりかけたスネアの「ドパーン……」って伸びるかんじとかね。以前は古臭いなって思ってたんですけど、なぜかいまはかっこよく感じます。
──8月に先行リリースされた“聖者”は「夏がきて/ぼくに足りないものはない/あたまもわるくて/きみを救うための天使」と歌い出されます。「あたまもわるくて」の一節がとてもいいですね。
志磨:ありがとうございます。ぼくも気に入ってます。
──アルバム全体にわりと「あたまのわるい」恋愛を描いていますし。
志磨:偏見ですけど、若者ってみんな頭が悪いじゃないですか(笑)。かつて自分もそうでしたし。すべての頭の悪い若者のためのラヴ・ソング集ですね、このアルバムは。
──MVも素敵です。伊澤彩織さん、すごくいいですね。
志磨:そう! ぼくもびっくりしました。あのMVは脚本もキャスティングもぜんぶ、監督の小池茅さんによるものなんですけど、はじめにコンテをいただいた段階で「女の子が後ろに男の子を乗せてバイクで走るところを撮りたい」とおっしゃってて。ただ二人乗りの撮影って、なにかあったらいかんということで、けっこうハードルが高いんですよ。しかも大きなバイクの免許を持ってる女優さんとなるとなかなか……と思ったら、伊澤さんがいたという。
──スタントもこなすアクション俳優だそうですね。お相手の後藤恭路さんもキリッとした顔立ちなのに、MVではちゃんと頭が悪い男の子になりきっていて、プロの役者さんはすごいなと思いました。
志磨:本当にすごいですね。伊澤さんもふだんは穏やかにふわふわと話される方でしたけど、カメラが回ればあの通り、くわえタバコですごくビッとしたお顔になって。
──志磨さんも出演されていますよね。
志磨:ちょっと死神っぽいというか、この世ならざるものっていうか、人間か人間じゃないかわからないような役で出てほしい、と監督さんに言われまして。
──グラム・ロックっぽい“やりすぎた天使”は不良少年たちのストーリーですか?
志磨:北野映画じゃないですけど、ちょっとチンピラっぽいイメージですね。コロナ禍の影響でいろんなイベントが中止になって、「今の若い人は青春を謳歌できなくてかわいそうに」みたいなことをおっしゃる方もいますけど、「いやいやいや、若者の適応能力なめんなよ」ってぼくは勝手に思ってて(笑)。家の近所なんかでも若者たちが深夜、道端で酒盛りをしてて、まあガラ悪いですけど、いいぞいいぞ、とも思うんです。「これをやってはいけません」と言われたらやりたくなるのが若者ですし、ぼくはそういうやんちゃな若者のはしたなさが嫌いではないので、そういうイメージで書いてますね。
──「ここもタバコだめになるって」とか、「あの夏といえば やけに暑すぎたな」とか、他愛のない生意気さにグッときます。
志磨:「去年は吸えたのに」とか、ほんとどうでもいいようなことですけどね(笑)。背伸びして全部わかってるような顔してるけど、なにかあったらオドオドしてしまうような、ちょっと突っ張ったかわいい感じ。