自己表現と共同作業の訓練をするワークショップがきっかけ
野中 : 岡村さんはフェミニスト的な主張を音楽から受け取ったきっかけは、どんなアーティストからですか?
岡村 : 私は、パティ・スミスからですね。でも、「フェミニズム」や「フェミニスト」という言葉が、音楽と共に自分の中に入ってきたのは、私にとっては90年代くらいからでした。いわゆるライオット・ガールという活動をやられていた人たちのなかでも、スリーター・キニーのようなアーティストたちがインタビューのなかで、「フェミニズム」という言葉を積極的に使っていたところがきっかけだったと思います。
野中 : 私も90年代のインディーバンドには刺激を受けました。80年代、マドンナやシンディー・ローパーがヒットして、女性の時代として持ち上げられ、メインストリームのメディアでは「フェミニズムはもう古い、男女平等は既に達成された」と言われがちな風潮があった。「男並み」の権力を握る少数の女性が出現したところで性差別は解消されていないのに。そこで、アンダーグラウンドでは、アメリカのビキニ・キルやイギリスのハギー・ベアがフェミニストとして自らの主張を打ち出していったんです。
岡村 : 確かに90年代のアメリカの女性アーティストは、サウンド面でもアグレッシブなものが多かったですね。ビキニ・キルやハギー・ベアのような運動をしているアーティストは、「キャッチーな方向に行って売れるんだ」というところからスタートしているわけではなくて、ストリート感のようなものが非常に強かった人たちでした。
野中 : 確かに、そうですね。
岡村 : では、ここで「女性アーティストの表現」というテーマに沿って、いくつかアーティストや楽曲を紹介していきましょう。
野中 : まずは、少年ナイフとも縁が深いバンドということで、ソニック・ユースの“Bull In The Heather”を。ソニック・ユースは80年代初頭から、とにかくライヴ活動を重ねて支持を得て、90年にメジャーデビューしたバンドです。このMVで踊っているのは、ビキニ・キルのボーカル、キャスリーン・ハナです。もともと、ハナをはじめとするライオット・ガールの人々は、アンダーグラウンドで自分たちのネットワークを作っていこうという活動をしていたんです。大手のメディアに対する不信感を持っていた。でも、ソニック・ユースのキム・ゴードンは、そういう人たちがいるんだということを多くの人に知らせたいと思ったから、こういうビデオを企画して、ハナも引き受けたんですよね。しかし表に顔を出せば、どうしてもリーダー的な存在と見做されてしまいますから、運動の内側からも外側からも批判を受けることになります。草の根での活動をやってきて、「リーダーや代表はいない、みんなが主体となるんだ」というパンクの理想を掲げていても、やはり人はアイコンを求めてしまう。しかしまずは知られないと話にならない。そのジレンマについて考えさせられるビデオです。
岡村 : 次は、ビキニ・キルにも影響を受けているであろう4人組バンド、リンダ・リンダズを紹介します。リンダ・リンダズがマーリンズの公共図書館で行ったライヴは、アメリカ国内はもちろん世界各地ですごく話題になりました。
野中 : リンダ・リンダズは、女の子がバンドで自己表現と共同作業の訓練をするワークショップがきっかけになって結成されたバンドなんです。LAにはそういうワークショップなどオルタナティヴな教育活動の場を利用して音楽をやってる子が多いと本人たちがインタビューで語っています。そして、そういう動きがあるのは、公的な教育から音楽教育の機会が失われているからだとも。公でやってくれないから、自分たちでやるという、そういうパンクスの運動のなかから出てきたのが、彼女たちリンダ・リンダズです。
岡村 : ここで若干アングルを変えて、英米の音楽家だけでなくインドネシアのアーティスト、Tika & The Dissidentsを紹介したいと思います。
野中 : 「Tubuhku Otoritasku」という2012年の曲で、インドネシア語で「私の体は私のもの」という意味です。ビデオでは、ヴォーカリストのティカさんだけでなく、いろいろな女性が自分の身体にメッセージを書いています。これはライオット・ガールの人々もやっていた表現で、それを直接参照しているのか、自然と同じところに行き着いたのかはわからないですけど。場を持たない人々が主張する機会を作ろう、声を出すよう促そうという姿勢は、「自分の作品の一部として搾取する」こととはっきりとは切り分けられない危うい部分もありつつ、心を揺さぶられます。「女パンクの逆襲──フェミニスト音楽史」では、そういった表現の形が広がりを見せていることも紹介しています。