CROSS REVIEW 3
『崩れそうな足元を隠しながら独りで立ち続けている者の道』
文 : 梶野有希
本作は、前作『FIZZY POP SYNDROME』の延長線上にある作品とのこと。前作には「コロナ禍などで経験した辛さを炭酸水で割るように薄めることができたら」といった想いが込められており、続く本作では、その炭酸が抜けてしまったあとに残る、孤独や虚無感を音像をあまり変えることなく描いたという。
たしかにサウンドメイクについて大きな変化はない。だからこそ、秋山黄色の潜在的な魅力が伝わる。たとえば、4つ打ちや3連符など親しみやすいリズムを然るべきタイミングで用いること、イントロやギター・リフから伝わるキャッチーさ。これらは全曲を通して感じることができる、彼の“らしさ“につながる要素だ。ギターロックを全面にだした疾走感のあるサウンドメイクが特徴的な秋山黄色だが、“ナイトダンサー“や”PUPA”では、これまで以上にアッパーで荒々しいメロディーラインが生きている。持ち前の良さが健在しているからこそ、秋山黄色の変わらぬ魅力を改めて明確化することができる作品に仕上がっているのだ。
かといって新鮮な要素が全くないわけではない。最初の曲“見て呉れ“は、これまであまり聴いてこなかったファルセットからはじまる。それから全体的に打ち込みの要素も増え、サンプルを多用した“Night Park”はその代表例だろう。アク“は、5拍子で刻まれており、マスロックのような緻密な構造になっている。また全収録曲に共通して言えることは、ピアノの活かし方が格段にレベルアップしているということ。これまでの楽曲はギターがまず第一線にあったが、ピアノが入ることで全体のバランスを整え、ここぞというときにギターが鳴るという構成が増えている。本作のサウンドは、これまで提示した“らしさ“は洗練される一方で、それが故に彼がみつけた小さな新境地をたくさん発見できる1枚だ。
それからこのアルバムを聴きおわって感じたことは、「大人にはならんけど 子供じゃなくなるのさ」(“白夜“)と歌っているように、大人と子供の間で揺れ動いている人へ向けたアルバムだということ。
そもそも、「何歳から大人ですよ」という明確な基準はない。だからこそ、悩むのだ。進路がどうとか、社会人になったからこうあらなきゃとか。あれこれ葛藤するけど、結局大人にはなれないことに気づいて焦燥感が生まれたりするものだ。そういう言語化しづらい漠然とした悩みや、もがいている現状に寄り添ってくれるアルバムだなんだと最初に思った。例えば、「才能なんて言葉を口にしそうな時は決まって諦める支度をしている」「天才の内訳は99%の努力と多分残りの1%も努力だ」(“ナイトダンサー“) といった歌詞は、なにかを目指しながらも孤独の渦にいる人の傷を癒すとともに、そこから立ち上がる勇気を与えてくれるひと筋の光だろう。
秋山黄色はソングライティングを通して、“ひとりじゃどうしようもないけど、ひとりでどうにかするしかない“という、空虚な感情との向き合い方を常に提示してきた。「幸福なことで日々を満たしても傷が痛むように あなたがくれた幸せは傷なんかでは消えないから」。これはファースト・アルバム『From DROP OUT』収録曲“夕暮れに映して“のワンフレーズだが、これまでの作品のなかで特に印象的だった歌詞である。本質は同じことを言っていても、捉え方と伝え方の角度次第では、痛みですら誰かの救いに変わると教えてもらったからだ。本作にも「幸福で死にたくないっていうのは この地球上で一番の不幸だね」(“白夜“)という、逆説的な表現を用いた詞がある。現状を多角的に捉えながら、孤独な現状を鼓舞するソングライティングは、秋山黄色の変わらない根幹だろう。
独りとむきあい続けた過去があったからこそ、生まれた本作。自分が体験したからこそ伝えられる想いを取りこぼすことなく、いま同じような痛みを味わっている人へ向けて歌う。目の前の葛藤と戦い続ける勇気を多くのひとに与える秋山黄色は、孤独に悩むものの味方だ。本作は、秋山黄色と同じようにいまにも崩れそうな足元を隠しながら独りで立ち続けている者の道標になる。
梶野有希
カルチャーメディア『DIGLE MAGAZINE』を経て、現在は『OTOTOY』でライター・編集。インディーからメジャーまで、邦ロックを中心に担当。
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