REVIEW #2 「私立恵比寿中学はすべてのメンバーがすべての楽曲に対して、純白の愛をもって向き合っている」
Text by 沖さやこ
バラエティに富んだ楽曲群と、それぞれ異なる趣を持つ9人の歌声。歌詞の主人公像も多岐にわたる。散漫になっても不思議ではない状況が揃っているのにもかかわらず、どの楽曲でも私立恵比寿中学らしさを感じられるのが、セルフタイトルアルバム『私立恵比寿中学』だ。
だが一体なぜそんな作品が作れるのだろうか。考えあぐねた結果、ひとつの仮説に辿り着いた。私立恵比寿中学はすべてのメンバーがすべての楽曲に対して、純白の愛をもって向き合っているということだ。
作詞作曲家の思いや楽曲の主人公の心情を出来る限り汲み取ろうとするから楽曲の本質を表現できるし、己の意志が中心にあるぶんそれぞれの個性も自然と歌声に滲んでくる。彼女たちがそれを実現できるのは、この音楽を極限まで磨き上げることで、ファンに楽しんで、喜んでもらいたいから。さらにはこれから出会う人を少しでも笑顔にできたらという思いがあるからだろう。それを愛と言わずなんと形容しようか。メジャーデビュー10周年を迎えるタイミングで「これが私立恵比寿中学だ」と胸を張れるアーティスト/アイドルに、彼女たちはなったのだ。
結成10周年を迎えた2019年、エビ中は『MUSiC』と『playlist』という2枚のフルアルバムをリリースした。J-POP界を長年支える実力派作家だけではなく、第一線で活躍するアーティストや個性的な新進気鋭のクリエイターを多数招いた楽曲群で、彼女たちは表現者として大きく成長した。
だがその最中ともなる2019年10月、メンバーで2番目にエビ中歴が長い安本彩花が無期限の休養に入る。翌2020年3月に活動再開がアナウンスされるものの、10月には悪性リンパ腫の罹患を公表。加えてこの年はコロナ禍1年目。未曽有のウイルスに対してどう対処していくべきなのか、世の中が当惑していた。メンバーの心中もかなりヘヴィであったと推測する。
そんな彼女たちの元に舞い込んだのが、たむらぱん/田村歩美が作詞作曲編曲をした “イエローライト”。2020年12月27日に東京ガーデンシアターにて行われた「バンドのみんなと大学芸会2020 エビ中とニューガムラッド」公演で初披露された楽曲で、「立ち止まることを恐れないで」というメッセージが込められている。どうしてもこぼれてしまう不安を優しく拭う同曲は、長年エビ中に楽曲提供をしていたたむらぱんとエビ中の信頼関係があるからこそ生まれたと言っていい。今作2曲目にも収録され、歌唱パートも主に当時のメンバー6人で割り振られている。彼女たちの2020年を象徴する楽曲だ。
そして2021年の元日、新メンバーオーディションの開催が発表。4月には安本の悪性リンパ腫が寛解し、5月に数多くの審査をクリアした桜木心菜、小久保柚乃、風見和香の3名が新メンバーとして加入。夏には安本が本格復帰を果たし、現体制へ。再びグループの歯車が規模を大きくして動き出した。9人全員がそれぞれの試練を乗り越えている。だからこそ『私立恵比寿中学』は軽やかでありながら、地に足のついたアルバムになったのだ。
大橋ちっぽけ作詞作曲の “Anytime, Anywhere” で大切な人への愛を歌い、高橋久美子が作詞を担当したクラブミュージック “きゅるん” で大人っぽい表情を見せる。ディスコチューン “トキメキ的終末論” で強気かつユーモラスにテンションを上げ、Saucy Dogの石原慎也が作詞作曲した “ハッピーエンドとそれから” で過去の初恋のもの想いに耽る。TORIENAが手掛ける “シュガーグレーズ” で刺激的なチップチューンをクールに歌い上げ、マルチクリエイター・けんたあろはによる斬新な展開の “さよなら秘密基地” で離れ離れになった幼馴染への切実な気持ちを物語の主人公としてメロディに乗せて、キタニタツヤ作詞作曲の “宇宙は砂時計” で穏やかな眠りに誘うように、繊細に色付けをしていく。“イエローライト” も9人の声が重なるからこそ歌詞に込められたメッセージを立証し、より説得力のある楽曲へと進化した。
そういった様々な表情を見せるアルバムの本編ラストを飾るのが、現体制初楽曲 “イヤフォン・ライオット”。アイドル的な可憐なキュートさだけでなく、凛々しいタフネスも感じさせる楽曲は、「永遠に中学生」なエビ中ならではのカラーである。《起こしに行こう ライオット》と晴れやかに歌う9人の声のみで締めくくるところも、このアルバムにおいて非常に意味深い。
様々な試練を乗り越え、新しいスタートに立った私立恵比寿中学。9人で辿り着いたエビ中のかたちは、この先エビ中の伝統として継承されていくのではないだろうか。過去の軌跡と未来をつなぐ重要な作品が完成した。
沖さやこ
神奈川県横浜市出身。2009年3月に音楽系専門学校ライターコースを卒業。音楽ライターのアシスタントを経て、2010年5月よりフリーランスのライターとして活動。