REVIEW #1 「これはやはり人生についてのアルバムなのだ」
Text by 南波一海
私立恵比寿中学のニューアルバム『私立恵比寿中学』は、そのタイトルとジャケットからわかるように、ビートルズの10枚目 (米編集盤『マジカル・ミステリー・ツアー』を除くと9枚目) のオリジナルアルバム『ザ・ビートルズ』のオマージュであろうと推測できる。
いわゆる『ホワイトアルバム』を引っ張り出してくるのはこのグループらしい豪快なパロディで痛快だなと思ったし、メジャーデビュー10周年という大きな節目を飾るのにふさわしいセルフタイトルだとも思う。しかし、いま、このタイトルを冠したのは、そうしたこととはまた別の意図も含まれているのではないだろうか?
本編は全10曲である。クレジットを見ると、たむらぱんこと田村歩美、高橋久美子、児玉雨子、杉山勝彦といったおなじみの名前も確認できる一方、初顔合わせとなる作家が数多く名を連ねており、これまでの作品と同様に新たにチャレンジする姿勢を崩していない。そしてそれは大正解だったと思う。
本作のスタートを飾るのは “Anytime, Anywhere”。ジャクソン5やハンソンのようなキッズソウルを下敷きにした軽快な曲調で、作詞作曲を大橋ちっぽけ、編曲を岩崎隆一が手掛けている(このコンビ作でいうと大橋の “常緑” が最も近い雰囲気)。どんなときでも、どんな場所でも、僕と君が望むなら同じ気持ちになれるというこの歌は、人に会うのが普通ではなく特別なことになった2020年以降の世界を描いているよう。この曲の最初の歌パートは安本彩花が担当しており、再生して真っ先に耳に入ってくるのは楽器の音ではなく、安本のブレスだ。もう、この幕開けのほんの一瞬がアルバム全体を特別なものにしているのではないかと感じてしまう。
続く “イエローライト” は安本が療養でグループを離れていたときに初披露された楽曲。イエローライト、つまり黄信号を前に焦るのではなく、立ち止まるときがあってもいいという内容で、当時のメンバーたちに当てて書かれたたものだ。たむらぱんの書く言葉はもとよりメロディが優しく大らかで感動的。その筆致が心を揺さぶる力は “感情電車” にも匹敵する。3曲目のCOMiNUM、Myko ISLAND、Ryo Itoのコライト、TomoLowの編曲による “きゅるん” は、ジャジーなハウスを展開する。深夜の逢い引きを匂わせる高橋久美子の歌詞も曲名から想像するよりずっと大人びた雰囲気。新メンバー3人の初々しいヴォーカルが織りなすギャップもよい。
“ハッピーエンドとそれから” の作詞作曲はSaucy Dogの石原慎也、編曲は板井直樹。時間の経過を歌ったもので、大人になったことの描写(このアルバムのあちこちに散りばめられたモチーフである)が繊細に刻まれている。ところで、近年の私立恵比寿中学の作品を語る際にメンバーの歌唱力への言及を避けて通ることはできない。こういった音の空間の多いシンプルなバンドサウンドは、それぞれの歌声がよく映えるのだなと感じた。キャリア組の歌唱は押し並べてうまい。特に小林歌穂の柔らかなニュアンスが最も堪能できるのはこのナンバーではないだろうか。
児玉雨子作詞、山﨑佳祐作編曲の “トキメキ的週末論” はライヴにおけるキラーになるだろう。一度きりの人生を悔いなく生きることを前のめりになって宣言する、これ以上ないほどストレートにアッパーなディスコである。そんな生々しく躍動するディスコのあとにくるのは、TORIENAによるテクノチューン “シュガーグレーズ”。離れた場所のふたりが電気信号で繋がるという筋書きは “Anytime, Anywhere” とも共振する。
個人的に最も驚かされた曲は “さよなら秘密基地” だ。メロディはスピーディかつダイナミックに飛躍し、先がまるで想像できないジェットコースター的な楽曲。手掛けたのはボカロPとしても活動する、けんたあろは。彼の提供した虹のコンキスタドール “終末でーと部!” を聴く限り、かなりトリッキーではあるものの、アイドルソングらしい着地をすることもできる作家なのだと思う。しかし “さよなら秘密基地” のメロディや曲の展開は容赦なく非人間的なムーブを見せており、まさにボカロらしいナンバーになっていて、それを人力で歌ってみせたということに存外の面白さがある。これから大人になる自分、あるいはもう大人になった自分のどちらの視点でも見ることができるジュブナイルな歌詞は、年齢層の広くなったグループにもうまくハマっている。
“ナガレボシ” はJam9のGiz'MoとのArmySlickのタッグが作り上げたドラマティックなミディアムバラード。キャリアを重ねてきたいまだってまだ道半ばであること、その先の人生に不安や迷いを抱きながらも前を向く姿勢を描いている点、そして “トキメキ的週末論” のように “人生は1度でしょ?” というフレーズが出てくる点。本作の作家陣はバラバラではあるが、やはり見ている方向性はひじょうに近い。9曲目は “宇宙は砂時計” の作詞作曲はキタニタツヤ、編曲は笹川真生。曲にはSF映画の静謐なうらさびしさのようなものが漂っていて、歌には抑制のきいたグルーヴが宿っている。こういった曲を歌えるのが私立恵比寿中学のすごみであるとも思う。歌詞では、変えられない過去とどうにもできる未来を歌っていて、こう書いているうちに、これはやはり人生についてのアルバムなのだなと思い至る。それも、ただハッピーなだけで終始しない、なにかもっと複雑な感情が入り混じったものだ。“ここに神様はいない 僕らがいるだけ” というフレーズも示唆に富んでいる。
ラストは “イヤフォン・ライオット”。作詞は児玉雨子、作曲は杉山勝彦、編曲は野村陽一郎。これは一体、なにに対してのライオット(暴動)なのか? それはきっとコロナ禍に対してだろうし、もしかしたらアイドル界に対してかもしれないし、なんなら私立恵比寿中学というイメージの押し付けに対してなのかもしれない。ともかく、この歌は、心にうごめく感情のノイズを肯定する。このパワフルなライオットが本編のラストに置かれた意義は大きいと思う。
ここで最初の設問に戻る。なぜ、このアルバムは『私立恵比寿中学』というタイトルになっているのか?
ここで歌われていることは、人生は不可逆で進んでいくものであり、過去は過去でしかなく、いまとこれからはほかならぬ本人たちが描いていく、ということだ。だからこそメモリアル的なものにはなっていない(そろそろベスト盤とかが出てもおかしくないですが)。つまり、このセルフタイトルは、現在の私立恵比寿中学こそが私立恵比寿中学なのだ、という力強い意思表示なのだと私は受け取った。もちろん過去も大切だが、なによりも重要なのは「いま」であることに違いない。『私立恵比寿中学』を通して聴くと、ユーモラスなオマージュの裏にはこんなにも頼もしい意志があるのではないかと感じ取ることができたし、だからこそ、この先に切り拓いていく未来も楽しみだなと強く思うのだ。
南波一海
1978年生まれの音楽ライター。アイドル専門音楽レーベル・PENGUIN DISC主宰。近年はアイドルをはじめとするアーティストへのインタビューを多く行い、その数は年間100本を越える。タワーレコードのストリーミングメディア「タワレコTV」のアイドル紹介番組「南波一海のアイドル三十六房」でナビゲーターを務めるほか、さまざまなメディアで活躍している。「ハロー!プロジェクトの全曲から集めちゃいました! Vol.1 アイドル三十六房編」や「JAPAN IDOL FILE」シリーズなど、コンピレーションCDも監修。