REVIEW 2 『Shuttle Loop』
『夢をリアルにし続ける、ヒップホップと“ただの友達”』
文 : 山田文大
サイプレス上野とロベルト吉野の3年4ヶ月ぶりとなる7枚目のフルアルバム『Shuttle Loop』がリリースされる。アルバムに冠され1曲目のタイトルでもあ“Shuttle Loop”は、サ上とロ吉の地元にあった遊園地、横浜ドリームランドのジェットコースターだ。これまでのアルバムタイトルも基本地元に因んだものであり、一言“ブレない”と書けば済むのかもしれない。だが、改めて2009年発売の金字塔的2ndアルバム『WONDER WHEEL』が観覧車で、今作が絶叫系アトラクションの名称と考えると、やはりサ上とロ吉の“らしさ”であり(凡庸なアーティストなら『Shuttle Loop』をキャリア初期のタイトルにしそうだ)、業の深さを感じてしまう。業の深さと書いた意味はひとつでないが、知名度も見える景色もキャリア初期当時から考えれば飛躍的に変化したであろうのに、ファースト・アルバム『ドリーム』に始まり前作『ドリーム銀座』(こちらは地元にあった商店街)に至るまでドリームランドを出たり入ったりという、まるで呪縛のような独特のフッド感ゆえだ。そして何より重要なのは、彼らを捉えているのが文字通り、今なお“夢”ということだろう。
本作『Shuttle Loop』が力強く伝えるのは、サイプレス上野とロベルト吉野が“まだ夢の中に生きている”ということに他ならない。〈少年イン・ザ・DRM / ここから来たぜかけがえのないダサい過去も宝物で / 少年イン・ザ・DRM / 誰にも譲れない 夢の国の街の話〉(“少年イン・ザ・DRM”)。例証としては直接的な表現に過ぎるだろうが、ここで歌われるのは本作であり、サ上とロ吉が創る音楽に通底する本質と言っていい。そもそも彼らが生まれ育ったドリームランドは“ヨコハマのハズレ”であり、“夢”の象徴的なエリアではない(≒“東京摩天楼”でも“デ●ズニーランド”でもない)。多くの地元民にとって皮肉のような響きを孕んでいたであろう“ドリーム”を、出会ったヒップホップの魔法を使ってふたりがリアルへと描き変えたのだ。そしてサ上とロ吉の凄みは、この魔法が未だ効力を持っているどころか、導師・使い手としてその力をさらに増していることにある。詰まるところその魔法とは何か。本作を聴けば、その一端に触れることができるだろう。〈光り輝くGOALが成功じゃなく / 今のSTAY GOLD〉(“おもしろおかしく”)。現実に夢を叶えることは誰にでもできるわけではないかもしれない。だが、夢に生きるのはまた別の次元の話だ。ハズレでくすんでいた“ドリーム”をサ上とロ吉が輝かせたように。本作に参加する客演は鎮座DOPENESS、STUTS、漢 a.k.a. GAMI、KEN THE390、TARO SOULという“無敵の布陣”。プレスシートによれば「関係が近すぎて、逆に忘れていたという“ただの友達(旧友)”」とある。
他にもリリックには、ふたりにとってかなり個人的な関係であろう友達の(リスナー的には「ん? 誰?」という)名前が頻出する。だが、それが決してひとりよがりには響かず、聴く者の身に置き換えて様々な顔や光景を思い浮かばせる。“逆に忘れている”ほど近くにある存在こそかけがえなく、くすんでしまいがちな現実に“夢”の色彩を添える(どころか無敵!)というメッセージは、本作が鳴らす重要なガイダンスと言っていいだろう。飛躍的に多様化する時代の中で、ヒップホップ(カルチャー・アーティスト)が共有のメンタリティー〈=芯〉を持っている(必要がある)のかどうかはわからない。それでもサ上とロ吉がキャリア20年を越えてなお、デビュー作のような初期衝動(タイトル『Shuttle Loop』はその象徴だろう)を失わず、“ただの友達”とハズレから響かせる楽曲群はクリティカル(=ハズレなく)で、“これがヒップホップ”という変わらぬ力強さと気概に満ちている。
山田文大
フリーの編集・ライター、YouTube番組『ニートtokyo』インタビュアー。