2021/10/29 17:00

高橋健太郎x山本浩司 対談連載

『音の良いロック名盤はコレだ!』 : 第3回

お題 : ポール・サイモン『Still Crazy After All These Years』

オーディオ評論家、山本浩司と、音楽評論家でサウンド・エンジニア、そしてOTOTOYプロデューサーでもある高橋健太郎の対談連載、第3回。本連載では、音楽、そしてオーディオ機器にもディープに精通するふたりが、ハイレゾ(一部ロスレス)+デジタル・オーディオ環境を通して、改めて“音の良さ”をキーワードにロックの名盤を掘り下げてみようというコーナーです。

毎回1枚の作品をメイン・テーマに、そのアーティストの他の作品、当時作品がレコーディングされたスタジオや制作したエンジニア繋がりの作品などなど、1枚のアルバムから、その参加アーティストやエンジニア、録音スタジオなどを媒介にさまざまな作品を紹介していきます。第3回はポール・サイモン『Still Crazy After All These Years』をフィーチャー。

今回も最新のオーディオ機器にてテスト・リスニングしつつの音楽談義。今回はネットワーク・オーディオをより使い易く身近に、より高音質に、オーディオ志向で設計されたDELAのミュージック・ライブラリー、N100を使用しました。

A&Rスタジオから幾多の名作を生み出したフィル・ラモーン

今回、進行用にふたりが用意したプレイリストはコチラ、ぜひ聴きながらお読みください

高橋健太郎(以下、高橋) : 前回はジャクソン・ブラウンの『Late For The Sky』、そこでは今年亡くなった巨匠、プロデューサー/エンジニアのアル・シュミットの話をしたんですが、今回はニューヨーク・サウンドの話をしたいなと思って、山本さんと相談して一発で決まったのがポール・サイモンの『Still Crazy After All These Years』でした。手がけたのはフィル・ラモーン。

山本浩司(以下、山本) : そうですね。「次回はソニー、コロンビア系の作品がいいんじゃないか」というお話があったときに、音の良さで考えると、このアルバムとフィービー・スノウの『サンフランシスコ・ベイ・ブルース(原題『Phoebe Snow』)』がまず頭に浮かびました。『Still Crazy〜』の当時の邦題は『時の流れに』、1975年リリースの作品で、この年のグラミー賞の最優秀アルバムを獲ってますね。

高橋 : 内容的には結構難しいアルバムじゃないですか? これがグラミーの最優秀アルバム取るというのはすごいなー、この時代はと思います。ポップな曲は入っていなくて、すごく文学的というか、ポール・サイモンの中でも音楽的にはジャズに近づいたアルバム。グラミーを受賞って華やかなイメージありますけれど、この作品はもう聴けば聴くほど「ああ、大人になるのって難しい」って思うようなアルバムですよね。

山本 : なるほど。ポール・サイモンと言えば、僕の場合その出会いはやはりサイモン&ガーファンクルで、3歳上の姉が買ってきた『Simon and Garfunkel's Greatest Hits』。中一だったか、初めて聴いた洋楽アルバムでした。僕らの世代はサイモン&ガーファンクルで初めて洋楽に触れたという人は多いと思います。僕はそこから遡ってビートルズを聴き始めたり、また当時はブリティッシュ・ロックが全盛でしたので、レッド・ツェッペリンとか、ディープ・パープルとかハード・ロックを聴いたり……という感じでロックに出会いました。だから、僕にとってはサイモン&ガーファンクルは、音楽に夢中になるきっかけをつくってくれた人たちなんですよ。

高橋 : 僕もいちばん最初に買ったレコードはサイモン&ガーファンクル。LPでも、シングルでもなくって、4曲入りのエクステンドのEPというフォーマットが当時あったんすよね。7インチなんだけど33回転で4曲入り。”The Sounds of Silence”が収録されているそういうEPを中学の終わりくらいに買ったんですね。LPを買うお金がないから。

山本 : それは日本独自規格の編集盤?

高橋 : 日本独自だと思います。その後、最初に買ったアルバムが『Parsley,Sage,Rosemary and Thyme』(1966年のサード・アルバム)。だから、僕もサイモン&ガーファンクルから洋楽に入っています。

OTOTOYで配信中のサイモン&ガーファンクルの作品はコチラ
https://ototoy.jp/_/default/a/854770

山本 : 健太郎さんの方が僕よりふたつお兄さんですけど、僕らの世代はわりとそんな感じですよね。ちょうどビートルズが終わりかけの時期にサイモン&ガーファンクルに出会って、彼らの曲、例えば”America”(『Bookends』収録)とか”The Boxer”(『Bridge over Troubled Water』)みたいな曲の対訳を読みながら、その意味を知って、中学生ながらに「日本の歌謡曲とはずいぶん違うもんだなぁ」と思いました。またそうした「ポップ・ミュージックの歌詞の素晴らしさ」に気づいたのが、ポール・サイモンの音楽だったかもしれないなという気がします。

高橋 : そうかもしれないですね。僕もアルバム買って、対訳を一生懸命読みましたね。サイモン&ガーファンクルは「The Sounds of Silence」(1966年)がミリオンセラーになって、その後もヒットを連発して、日本のラジオでもたくさんかかっていました。

山本 : 最後は「明日に架ける橋」(1969年、原題「Bridgeover Troubled Water」)で、あれがいちばん売れたんですかね?タイトル曲は、アート・ガーファンクルが一人で歌った曲で……。

高橋 : そうですね。「明日に架ける橋」は壮大なバラードです。その後、サイモン&ガーファンクルは解散するわけですよね。

多彩なリズム・アプローチへ、ポール・サイモンのソロ活動

高橋 : ポール・サイモンの解散後の初ソロ(1972年リリースの『Paul Simon』)は、サイモン&ガーファンクル好きだった人はけっこう「えっ?」という感じでした。ラテンとか、ジャマイカのレゲエとか、そういう新しいビートのある音楽に向かっていって。サイモン&ガーファンクルの繊細さとは違った、妙な明るさもあるアルバムで。

山本 : そうそう。

1972年リリースのファースト・ソロ

高橋 : 「僕とフリオと校庭で(Me and Julio Down by the Schoolyard)」(1972年)とか「僕のコダクローム(Kodachrome)」(1973年)とか、シングル・カットされたヒット曲は軽快なリズムの曲が多くて、びっくりした人、離れていった人も結構多かったと思うんですよ。

山本 : 80年代後半くらいから、いわゆる“ワールド・ミュージック”として紹介されるような世界中の多様なリズムに対するアプローチが始まりますが、ポール・サイモンはまだそういう言い方がされていないころに、世界中の、特にラテンとかアフリカのリズムにアプローチしてポップミュージックを革新していった……。

高橋 : サイモン&ガーファンクルのときから「コンドルは飛んで行く」とかもありましたよね。そういう世界各地のフォーク・ミュージックへの視線をポール・サイモンは持っていて、それがソロになってから、その興味がすごいいろんな場所に広がっていったんでしょう。レコーディングもそれまではニューヨークだったのが各地でレコーディングして、セカンド(1973年リリースの『There Goes Rhymin' Simon(邦題:ひとりごと)』)のときにはアラバマ州の〈マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ〉でロジャー・ホーキンスとかデヴィッド・フッド、バリー・ベケットといったマッスル・ショールズのリズム・セクションと一緒に新しいリズムの開拓をしました。

山本 : それで、この『Still razy~』は、『There Goes Rhymin' Simon』からの流れで、1曲目と2曲目はそのリズム・セクションをバックにレコーディングされている。そこから3曲目以降はニューヨークのスタジオ・ミュージシャンとのセッション。

1973年リリースのソロ・セカンド『There Goes Rhymin' Simon』

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