作品を通して音楽への情熱を純度100%で追体験する | Text By 綿引佑太
レコードの針が止まる。CDの再生が終わる。イヤホンを外す。〈NEWFOLK〉で鳴らされる音楽を聴いていると、そんな音楽が鳴り止んだ瞬間にこそ、人生が動き出すような感覚をおぼえる。街に吹く風をそのまま歌にしたような音の原風景は、現在進行形で息をする自分とリンクした世界そのもの。それは、いつ訪れるかも分からない独立した未来の一点ではなく、過去から繋がった現在、もしくは現在から伸びる影として歌う過去の回想。からっと乾いたアンサンブルとは対照的な、熱血なほどにググッと自己の内側に潜り込む内省的な憂いやノスタルジー。極端に言ってしまえば、聴き手を顧みないほどに超個人的な音楽。逆に言えば、ある意味、楽曲以外のすべてを聴き手に委ねるようなスタンスこそ新しいフォークの形、つまりは、〈NEWFOLK〉の音楽の面白さではないだろうか。だからこそ、音楽が止まった瞬間に私の人生は動き出す。
昨年10月にリリースされた田中ヤコブ(家主)の最新作『おさきにどうぞ』は、純血のいなたいロックンロールで掻き鳴らす痛快な自省録。これぞ〈NEWFOLK〉というような醍醐味がギュッと詰まった1枚だ。絶妙にクランチしたリズム・ギターと情熱のギター・ソロ。歌同様、もしくはそれ以上に田中の胸中をさらけ出すアグレッシヴなバンド・サウンドと対をなすメロウで艶やかな旋律。音程のピークで掠れるファルセットの儚さや、メロディーとユニゾンするオブリガード。外気を感じる開放的な演奏でありながら、心の深い部分にフォーカスしていくアレンジの巧妙さに胸が唸る。心地よいツーリングの途中、ふと我に帰る胸の内の一瞬を切り取るようなM2“BIKE”や、軽やかな倦怠の1曲M10“小舟”など、ほどよく達観した目線で自身を斬っていく脆さとひょうきんさは、誰かに向けたものではなく作者そのもの。歌の結末や、その未来には目もくれずに自分を正直に歌い上げる姿こそこのアルバムの根幹でありハイライトなのだ。
〈NEWFOLK〉の魅力は、作品を通してこのアーティストが感じた空気や景色、心模様、音楽への情熱を純度100%で追体験できること。自分じゃない誰かの感覚を耳から流し込む行為は、きっと他の音楽で体験する事はできないはずだ。時にはラッキーオールドサン、時には台風クラブ、時には家主の目と鼻、肌の感覚を借りて世界を見て歩く。そして最後、音楽が鳴り止んだ後に自分がどんな一歩を踏み出すのか。彼らから託された楽曲のその先の世界に音楽の楽しみは続いていく。
綿引佑太
1999年生まれ。大学進学を機に京都へ上洛。OTOTOY編集部でのインターン経験を経て、現在はオトトイのニュース・ライターとして活動中。日の出というバンドでギターも弾きます。