2018/02/15 00:00

連載企画『メッセージ・フロム・アンダーグラウンド』第7回──永山愛樹(TURTLE ISLAND / ALKDO...etc.)編

永山愛樹(TURTLE ISLAND / ALKDO / ボンクラ峠)

久しぶりの寄稿となる遠藤妙子による連載企画『メッセージ・フロム・アンダーグラウンド』。今回はTURTLE ISLANDのメンバーで、ALKDO、ボンクラ峠でも活動するバンドマン、永山愛樹へのインタヴューをお届けする。彼はバンドとしての活動はもちろん、2012年からスタートした愛知県豊田市の豊田大橋の下の千石公園にて開催されている「橋の下世界音楽祭」の運営にも関わるなど、バンドだけではない音楽、そして生活のあり方を提示し続けている。今回のインタヴューでは彼の音楽との出会いから、音楽観、そして「橋の下世界音楽祭」への向き合い方などたっぷりと話を伺った。

INTERVIEW : 永山愛樹(TURTLE ISLAND / ALKDO / ボンクラ峠)

2012年からスタートした「橋の下世界音楽祭」。愛知県豊田市の豊田大橋の下の千石公園で繰り広げられるこの祭り、盆踊りからハードコアパンク、アジアを中心にアフリカなど各地のサウンドが鳴り響き、世代も人種もジェンダーも超え多様な人々が集う、入場料無料の投げ銭制の祭りである。更に全電力は太陽光発電を利用。独自のやり方で作り上げられた夢のような祭りだ。「橋の下世界音楽祭」はとにかく楽しい。同時に、生きていく上で大事なことが、いろんなとこに転がっていることに気づかされるのだ。

「橋の下世界音楽祭」を仲間達と運営している永山愛樹。彼は、和太鼓や篠笛など様々な楽器を用いたレベル・ミュージックをハードコア・パンクの衝動と瞬発力で放つTURTLE ISLANDのメンバーで、ALKDO、ボンクラ峠でも活動するバンドマンである。永山愛樹はどういう意思のもと「橋の下世界音楽祭」にたどり着いたのか。そして今思うことは。足元を見て、世の中と交わりながら、悩み考え、だからこそグイグイと行動していく彼の言葉はとても響く。

インタヴュー & 文 : 遠藤妙子

パンクも民謡も、様々な境遇のマイノリティーのためにある歌

──「橋の下世界音楽祭」(以下、橋の下)に私は2017年に初めて行ったんですけど、とても楽しかった。遊びに行った私もお客さんではなくサポーター、いや、プレイヤーの気持ちになる。参加して運営している気持ちになったんです。素晴らしいなって。

永山愛樹(以下 愛樹) : はい。

──日常ではありえない夢のような場所だけど、でも実は日常でもあることのはずで。橋の下にはいろんな人がいるけど、日常にも実はいろんな人がいるし。

愛樹 : そうなんですよ。例えば橋の下では子ども達がゴミを集めると橋の下通貨というのが貰え、協力店で使えたり。鍜治屋など昔ながらの職人がいたり、いろんな国籍の人もいるし、車椅子の人も、お年寄りからパンクスまで。

──学校帰りの制服の中学生もいるしね。だから橋の下は日常と地続きで、地続きにしていかなきゃいけないなって。

愛樹 : まさしくそうです。橋の下も自分の日常の生活も、自分で作るものですからね。

TURTLE ISLAND“Palgan Dorang / パルガンドウラン”
TURTLE ISLAND“Palgan Dorang / パルガンドウラン”

──まさしくD.I.Y.ですね。愛樹さんは中学生の頃からパンク・ロックが好きだったと聞いています。そのD.I.Y.の感覚ってパンクから得たものだと思うんですが。

愛樹 : そうですね。初めはパンクから学び、更にそこから飛び出していろんなものや考えにも出会いました。

──ではまずは遡って、最初に聴いた音楽って?

愛樹 : 自覚して音楽を聴き始めたのは、小学生の頃に友達の兄貴のウォークマンでTHE BLUE HEARTSを聴いて今までテレビで見てたものとは違うぞって興奮して。そこが入り口になって中学でLAUGHIN’NOSEをジャケ買いしてから中学の同学年で大ブームになり、ある時仲間がDOLLをどっからか買ってきてからはGAUZE、LIP CREAM、SOBなどなど。いろいろ買ってハードコアを知って。引っ張られるままに(笑)。

──で、自分でもバンドをやり始めた。

愛樹 : ORdERってバンドを。自分が抜けてからもORdERは活動していて、今はもうORdERという音楽を確立していますが、当時自分がやっていたことは、極端に言えばDISORDERとかCHAOS U.Kが大好きで、DISORDERかCHAOS U.Kになりたかったんです(笑)。だけどイギリスに行ったら「あれ?」って。もっと自分のパンクをやりたいって思って、それでTURTLE ISLAND(以下 タートル)を組んで。

ORdER

──「あれ?」っていうのは?

愛樹 : 自分がやってることはこのままじゃ単なる物真似だぞって思ったんです。その後、イギリスのバンドではアイリッシュ・パンクとかは勿論、ハードコアでも民族的な音を取り入れてるバンドを好きになっていきました。自分達の土壌みたいなものを自分達のサウンドに自然に出しているバンドが多いんですよね。カッコイイって思った。「あぁ、そうだよな」って。俺も自分の音を、自分の土壌にある音をやりたいって思った。思ったんですけど、「自分の音ってなんだ?」って。俺は在日なんですけど、韓国や日本の土着な音が自分の体に入ってるかっていうと、子供の頃に聴いてたのは民謡より歌謡曲やポップスだし、土着な音楽なんてのはほぼ皆無で、あるとすれば盆踊りくらい。だからルーツを辿るみたいな。実際に経験はしていなくても、ルーツを辿っていけば何か開けるかもって。そしたら学んでいくこともたくさんあって、それが凄く楽しい。歴史や遺伝子的な記憶はまだまだ辿れるだろうし、どうなるか楽しみですね。

──ALKDO(TURTLE ISLANDのメンバーでもある竹舞とのアコースティックセット)でやっているような民謡は、子供の頃は聴いてなかった?

愛樹 : 聴いてはいましたね。俺の家は完全に韓国文化で暮らしていたんで。家では韓国文化、一歩外に出たら日本の文化があるわけで。それが当たり前だったんです。宴会とかになるとばあちゃんは韓国の歌を歌って踊るし。そうやって普通に聴いてはいたんだけど、普通にあったんで逆に知らないというか。意識して聴こうとしたこともなかったし。で、今、そういう民謡とか土着の音楽を知るたびに衝撃の連続ですよ。まるで初めてパンクを聴いた時のような。たぶん、パンクを知った時のような「初めての衝撃」ってものをずっと体験したくて、衝撃を逃さないようにいろんな音楽を聴いてるんじゃないかと。実際、朝鮮の民謡、日本の民謡、沖縄民謡、アジアだけじゃなくアフリカなどなど様々な地域の民謡とか音楽にハマッちゃって。土着なものがどんどん好きになって。でも考えてみたら俺にとってはロックやパンク、ハードコアなんかがいわば自分にとっての土着音楽なわけですよね。子供の頃から聴いて育ってるわけなんだから。土着で生活の音楽っていう。

ALKDO/アルコド
ALKDO/アルコド

──うん、パンク・ロックは土着ですよね。

愛樹 : パンクやハードコアって、日常生活の中の、埋もれた自分の心の奥底から生まれた音楽。そういう意味でパンクは完全に民謡だと思ってるから。あとパンクも民謡も、民衆の末端の人達や様々な境遇のマイノリティーの叫びや歌だと思うから。

──愛樹さんの音楽体験が橋の下に繋がっていくのがわかります。

愛樹 : 音楽というものは本来垣根のないもののはずだし、敷居のないところでいろんな人と共有したくて。その場所っていうのはライヴハウスじゃなくて、街の中で土の上で、橋の下のあの場所だったんですね。考え方とか思想とかは個々人の根底にはあるかもしれないけど、そういうものを飛び越えられる場所を作らないとダメだと思ったんです、震災の後に。それで橋の下をやろうと。

橋の下は自由な魂や感情が素っ裸で出てくるような場所

──橋の下は、3.11の東日本大震災がきっかけですか?

愛樹 : きっかけにはなったんですけど、もともとやりたかったんです。自分が出会った人、出会った音楽、全部が揃うようなことをやりたいなって漠然と思っていて。震災をきっかけに動き出して。「さぁ、自分達は何をやるんだ?」ってなったら、「祭りをやるんだ」って。パンクから民謡、一般的なものからストレンジなもの、昔からある土着な古き良きものと現代の新しいものとが入り交じる雑多な人間の場所。そういうものをいっぱい集めて、仲間や近所の人や家族や、道行く人、特に子供達に、見たことのないものを見たことのない人達に見せたいっていう、大雑把に言うとそれだけなんですけどね(笑)。そうやって人間の本来の多様性を感じてほしいし違いを受け入れるきっかけになればと。だから橋の下は大きくなれば成功とか、たくさん集客したから良いとか、別にそういうのじゃないっていうか。もちろんたくさんの人に来てほしいんですけど、あんまり人が来られても困るなぁ、大変だなぁっていうのと両方あって。難しいですね。

──規模が大きくなることだけが成功じゃないですしね。で、震災がきっかけになった理由をもう少し教えてください。

愛樹 : 震災と原発事故が起きて、いかんことはいかんと声を上げる、もちろんそうなんですけど、それも必要だったと思うし。俺は、自分はまず、なんていうか、根底のことからやっていきたいと思ったんです。いろんな人が集まれる場所を作らないとなって。そうしないと人間って脳みそだけで戦いだすから。脳みそじゃなくて毛穴が開くみたいなとこで戦いたかった。戦うっていうのは違うな……、いろんな人が集まって分かち合える場所を作ろうと。

橋の下世界音楽祭 〜 TURTLE ISLAND “洒落頭” シャレコウベ
橋の下世界音楽祭 〜 TURTLE ISLAND “洒落頭” シャレコウベ

──毛穴が開く! まさにハードコアを聴いた時の感触だ(笑)。

愛樹 : そうそう!その感触は今もずっと変わらないんです。橋の下にはいろんな音楽があるけど、全部毛穴が開くんです(笑)。

──でもパンクを聴き始めた頃は、パンクが持つ、権力と戦うとこや反抗するとこに魅力を感じていたんじゃ?

愛樹 : そうそう。そうなんですよ。

──震災と原発事故があって、権力と戦うって発想にならずに、人々と分かち合っていこうっていう発想になった。

愛樹 : そうなんですけど、でも俺は今、橋の下をやるにあたり、市とか行政とか国交省やその他今まで接したことのない様々な人たちと関わりだして、権力に立ち向かうということは、なにも対決することだけじゃないということに気づいてきたんです。それに、同じようなこと感じている人達も実はいろんなとこに沢山いますし。少しのボタンの掛け違いみたいなこととかで、「対何か」に設定してると、そういった人達とも出会えないし。もっともっと俺らなんかより世界をよく見てよくわかって巧みに戦っている人達もいっぱいいるし。いろいろ難しいですよ(笑)。でも、むしろ今の方が戦っているし、戦い方はいいろいろあると思うんですよね。誤解されやすいですが(笑)。

Photo by Kanji

──歌の中だけじゃなく、現実のいろいろな場面で戦っているわけで。

愛樹 : 昔は単なる「反抗」だったんですよね。そうじゃなく、本気でなんかしていかないと、していきたいと思ったんです。それは「自分達で作る」ってことで。で、祭りをやろうと。それは自分の街というとこでしかできないけど、自分の街で起こってることと世界で起こってること、基本は同じだと思ってるから。自分の周りや住んでる街を住みやすくしていきたいっていう…。自分の街にもいろんな人がいますからね。いろんな国籍、人種、マジョリティー、マイノリティー。そういう人達が集まれるものって俺にとって祭りだった。自分は音楽をやってるんだしね。祭りをやるのが自分の役目だと。で、橋の下をやるようになって。いろんな立場の人と会う。アーティストだけじゃなく街のいろんな人や行政の人。行政の人と対立することは簡単なんだけど、お互いいろんな意見を出して。知恵問答みたいで面白いですよ。豊田は。

──雑多な人が集まる橋の下は本当に楽しいんだけど、実現までは大変だったでしょうね。

愛樹 : まぁ、仲間たち皆でやりたいようにやってるだけなんですけどね(笑)。表に見えないところがやっぱり大変ですよね、いつでも。あと、今の世の中って、どんどん分断して……。震災以降、そういうのが浮き彫りになってきたじゃないですか。

──考え方や思想、そして政権のやり方で格差も出てきて分断に繋がっていく。分断しなくていいものまで分断されちゃうような感じもありますしね。

愛樹 : そう。だからこそ、何かと何かが戦う構図になると、正しいことが正しくなくなったりとか、多数派が正しいこととされたりとか。それじゃいかんのじゃないかって。何かと何かが戦う、そういう構図ではないものを作っていかなきゃいかんのじゃないかって。でもね、そうは言っても、今までって違う意見すらあまりなかった。あったんだろうけど表にはそんなに出なかったじゃないですか。今はネットに意見を出すことができて、世の中の毒を出せてるっていうか。出すことができて良かったって思ってるとこが自分の中にはあって。原発事故後のいろんなことも、権力者が隠したいことがあぶり出されているわけだし。こうでもないと皆が何を思っているのかわかんないすからね。

Turtle Island「サバイバー」橋の下世界音楽祭 Soul Beat Nippon 2016
Turtle Island「サバイバー」橋の下世界音楽祭 Soul Beat Nippon 2016

──ホントにそうですね。私は女性だから特に思うのは、痴漢など女性への性犯罪も、被害者が勇気を出して話し始めた。辛いことだけど、いいことだと思います。

愛樹 : そうですよね。問題が浮き彫りにされるのはいいことだと思う。どうせネットで匿名でしか言えないようなクソみたいなこととかも、この世の毒出しと考えたら、それはそれで、考えようによっては窮屈になってきた世間の逃げ場でもあるとも考えられる。逃げ場がないとキツイっすからね。でもそこには捕まらないように。

──ネットにはそういう良さがあるしもちろんネットは必要だけど、愛樹さんは生の実感や体感できることに、より魅力を感じた。

愛樹 : そうです。ネットっていろんなとこと繋がれる凄い広い便利なものだけど、凄い狭くもなるじゃないですか。TwitterやFacebookのTLも、当たり前だけど自分に近い考えのものが集まるようになってるし。違う人のTLには全然違うことが並んでるだろうし。もっと混ざった、もっと広いものを…。橋の下には例えば思想的に言ったら右寄りの人もいれば左寄り人もいる、そんなの関係ないって人も多数いる。もちろん右左で片付けるのもどうかと思いますが、ともかくそれを超越したところで楽しいっていうものや感動しちゃうようなものを共有して…、楽しいことだけじゃいかんのかもしれないけど、楽しいことがなければもっといかんと思うし。楽しいとかカッコイイとか面白いとかしびれるとか、そういうシンプルなとこでまず開放されて。いろんなものがある、いろんな人がいる、違いがある、違いを受け入れる。そういうことを体感して得られればいいなって。全然知らない人と同じ感覚を共有している場所。やっぱり俺は音楽が好きなもんで、それが俺のできることだし、音楽のできることかなって。だから橋の下は思想を投げ合いっこする場所じゃなくて、なんかわからんけど涙がこぼれてくるとか、普段蓋をしているそういう本来ののびのびした自由な魂や感情が素っ裸で出てくるような場所で。

──毛穴が開く感覚ですね(笑)。

Photo by Kanji

愛樹 : そうです(笑)。その感覚は、パンクやハードコアを聴き始めた頃から追い求めてる。あ、でも、ちょっと前に、別のバンドでライヴやった時に、MCでぽろっと、「北朝鮮報道のこととかどう思う?」、「テレビの情報だけで、答え出しすぎじゃない?国家同士のことを庶民が鵜呑みにしてガタガタ言うことじゃないんじゃない?って俺は思うな」ってことを言ったんですね。俺は自分が在日だから嫌なんですよ。中国人や韓国人のこととか一括りに悪く言うのは自分が言われてるみたいな感覚になる。みんな本当のところ知らんのに、なんでそんな簡単にわかった風に言うんだって。

──国家のやり方の批判ならともかく、その国の人だからって悪く言うのはおかしい。差別ですよ。

愛樹 : ですよね。「そんなこと言われたら寂しい思いをする人がいるよ」ってことを言いたかったんですけど。北朝鮮を庇護してるわけでもなんでもなくて、ともかくテレビで言ってることなんて信用できないぜって、youtubeなんかだってそうだし。まぁ、自分も言葉足らずで中々言いたいことをライヴとか喋りでは上手く言えないんですけど。そしたらバーッとお客さんの一人が怒って向かって来て、「北朝鮮がミサイル撃ってくるからだろ」って。おっと、久々だなぁと。久々に面白いって思ってる自分もいて(笑)。「まぁまぁ。ライヴの後、ちょっと話そうや」って、終わった後に飲んで、結構話して最終的にはハグして別れましたが(笑)。その人は自分の話をどこまで理解してくれたかどうかはわからないけど、俺は自分を隠さず、あくまでも相手を倒すことを目的とせずにどこまでいけるのかなって思って話をしてみた。あの感じはネットでは得られないんじゃないかな。顔と膝つきあわせてじゃないと、そもそも対話はできないですよね。これだけは間違いないと思う。

──それも含めてライヴだっていう感覚もあって?

愛樹 : そうですね。人が集まったらいろんな考えの人、いろんな人がいるわけですから。それを発表するのが、それが「GIG」って言葉の由来だとか聞いたことある。

Photo by 野田昌志

──例えば韓国に対してネガティブな感情を持ってた人がいたとして、でもその人が笑顔で踊ってるのは韓国の音楽だってことも、橋の下ではあるわけで。

愛樹 : そうそうそう。そこからですよね。そういう体験が大事だと思う。

──タートルの音楽も、メッセージがしっかりあるのにメッセージを超えていく身体性というか、メッセージを包括した躍動感がありますし。

愛樹 : 今のタートル、凄くいい感じに徐々になってきてると思います。

理解もされにくいことをやるのは、世の中の傾向に対しての自分なりの抵抗

──ちょっとまた、地元との関わりを聞きたいんですが。ライヴの企画は中学生の頃からやっていたそうで。

愛樹 : 地元の豊田はライヴハウスがなくて。楽器屋のちょっとしたホールや公民館とか文化会館とか、あと駅前とかで。駅前では、今、ROTARY BEGINNERSってバンドのSOGAくんや、のちにはORdERのコウスケが引っ張ってまとめていました。当時、俺らまだ中学生だったから手伝わされて(笑)。パンクバンドやってる奴らって家出して行き場がないような奴らばかりで、そこしか行き場ないからみんな集まってバンド始めて。そんで年月が経ち、各々でいろいろやり始めて。俺は今から13〜4年前に店を始めたんです。山の中で4〜5年やってました。山の中に自分達で木や畳を運んでデカい小屋を作って。橋の下の原型ですね。そこでライヴやってたんです。でも、山の中には近くに家はなかったのに、「うるさい」って言ってくるおじいさんが現れて。だいぶ遠いとこに住んでるのに、何度も必死に「うるさい」って言われて。その人の家に行って音を聞いてみたら俺らの出す音は小さく微かに聞こえる程度で全然うるさくない。だから無視して続けようと思ったんですけど、だけど街ならうるさくない音でも山だとうるさいんですよね、デシベルの数量の問題じゃないんすよね。静寂に暮らす山の人にとってはうるさいんだって気づいた時に、「やめよう」って。店をこのままやってたら俺達はアメリカと同じだって。ここではやめよう。俺達は街でやるべきだって。

Photo by 野田昌志

──もともと暮らしている人がいる場所に土足で入り込んだわけで。確かにアメリカですね。

愛樹 : そうそう。それで街に帰ろう、地元でやろうと。で、地元の駅前の小さいビルの一室を安く借りられて、ライヴができる飲み屋を始めて。5年ぐらいやったのかな。その後に震災があり橋の下を始めて。今は駅前のはずれで古民家改装した、ライヴハウスではなくフリースペースでありコミュニティー、自分らで作った新型公民館「橋ノ下舎」をやってます。運営は今の所、場所貸し代と、イベント時の酒の売り上げで賄って、利益は誰も取らずに場所だけ維持している感じです。まだ昨年夏から始動して実験段階ですが。事務所、作業場と、フリースペースお座敷でちょっとした民謡教室や整体など様々な教室やワークショップしたり、アコースティックライブや、橋の下の仲間やタートルはもちろん、街を面白くしようとしてる様々な立場の人たちが会合や打ち合せに自由に使ったりもしてるんですよ。橋の下音楽祭の方もそうですが、僕らには実験の場が必要なんですよね。

──地元や地域を巻き込んで変えていきたいっていう意識もあって?

愛樹 : いや、巻き込むとかじゃなく。その橋ノ下舎という場所は単に僕にとって「ハレとケ」の「ケ」の場所で、生きてく上で街に暮らすなら、街に居るからには自分のできる役割があるわけで、ただそれだけだと思っています。何か特別に革命めいたことをやってるつもりもないけど、でも、わざわざ金にもならないし中々理解もされにくいこんなことやるのは、世の中の傾向に対しての自分なりの抵抗でもあるんだとは思います。とは言うものの、そんな偉そうな確信的なものでもなくて、なんかわからんけどやらずにはおられず、思いついちゃったからなんかやってみよう!みたいな(笑)。だからたまに「何やってるんだろ、俺」って感じになることもあって。生活もあるし、ふり幅も広くいろんな人と付き合ってると、まだまだへっぽこなので、正直「これ以上は無理だな」とか思うことだらけですけどね。難しいですね。でもなんかやっちゃうんですよ(笑)。

──でも愛樹さんの中では音楽以外の活動が、自分の音楽に影響を与えたり反映してるわけで。

愛樹 : めっちゃしてます。でもホント言うと音楽だけやりたいっすけど(笑)。なんとなく思いついちゃったり、自分ができることだったり自分に向いてることなんでやっちゃうんですけど。たまたま思いついたことが行政を通さなきゃできないからとか。ホントは音楽だけやっときたいって思うことはありますよ。ずっとツアーだけやっていたいなって。でも、いろんな人と話して受け身でまず聞いてみないと色々入ってこないから、だから色々な考え方が知れて面白いんだけど、でも気を付けないとなんかこう、だんだん自分が透明化していくというか(笑)。ふり幅が広すぎて本末転倒、音楽の方の感覚が薄れていきそうで嫌になったりもします(笑)。でもなんだかんだ、いろんな人と会うと見聞は広がるし想像力も広がっているはずだし。それは自分の音楽に繋がっていくはずだと、確実に。まぁ、自分の中が広くなったり狭くなったりして大変ですが(笑)、それは皆同じですかね。ただ、なかなか周りにこの感じ伝えるのはすごく難しいです。続けるしかないですよね。

Photo by Kanji

──ちゃんと悩んで行動していくってステキです(笑)。愛樹さんは、自分がやっていることは正しいことだっていう意識は?

愛樹 : ないですね。それは思っちゃいけないと思うし、コレが正しい、なんてことはありえないと思う。もちろんこうであってほしいことや信じたいことはありますよ。タートルなんかは海外へもライヴで行くし、すると自分のいた世界からそうじゃない場所にも行くわけで、そうじゃないって角度が増えていって見聞が広がってくると、いろんな人の言うことも少しわかっちゃったりすると、逆になんだかよくわかんなくなったりするのは多々あります(笑)。こっちの立場もあっちの立場もわかる。じゃ、自分はどう発言するのか、動くのか、凄く悩みます。悩むし迷うし。正論だけでは全ては片付かないから、本当に全てにおいていろんな立場もあるし積もり積もって絡み合った歴史や物事もたくさんあるし、苦しんでる人らも未だたくさんいるし。でもそこから逃げて「今が良けりゃ、自分が良けりゃなんでもいいや〜」とは思いたくないし、悲しみや怒り、憎しみや疑いにばかり捉われていてもいられないし。そういう意味で言ったら幸せなんてこの世に存在しないし。まぁでも単純にはっきり言って、いろいろ勉強不足だなぁとよく感じます。

──いろんな人がいて考えは各々違うとこがあって、白か黒かじゃなくグラデーションだったりするし。一人の人の心の中も白か黒かで分けられないものもあるでしょうし。

愛樹 : そうですよね。人の考えって白か黒じゃないし平面でもない。善と悪の二つだけじゃなくて、もっと立体的なんですよね、きっと。ハードコアなんてまさにそうだと思う。知らない人から見たら、怖いだろうし怒りの塊みたいな無骨で、でも本当は優しい音楽なんですよね、ハードコアを聴いて自分の中にキレイなものを見つける人もいるわけで。ついハードコアに例えちゃいますね、俺(笑)。

──原点なんでしょうね。自分の原点って、時が経つほどいろんなことに気づいたりしますから。

愛樹 : ホントそうかもですね。パンクやハードコアがあったから、俺は今、これだけいろんなとこに行けるのかもしれない。

『メッセージ・フロム・アンダーグラウンド』バック・ナンバー

>>第1回 悪霊のインタヴュー記事はこちら<<
>>第2回 KO(SLANG)のインタヴュー記事はこちら<<
>>第3回 西片明人(東北ライブハウス大作戦代表)のインタヴュー記事はこちら<<
>>第4回 大熊ワタルのインタヴュー記事はこちら<<
>>第5回 リクルマイのインタヴュー記事はこちら<<
>>第6回 松田“chabe”岳二×スガナミユウのインタヴュー記事はこちら<<

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橋の下音楽祭

2018年6月1日、2日、3日(金、土、日)@豊田大橋の下 千石公園にて開催予定

詳しくはこちらをご覧ください。

遠藤妙子 PROFILE

80年代半ばよりライターとしてパンク・ロック雑誌「DOLL」などで執筆。DOLL廃刊後もアンダーグラウンドで活動するバンドを軸に、ロック・バンドへのインタヴュー、執筆に加え、2011年にライヴ企画をスタート。ライヴ・ハウス・シーンのリアルを伝えていくことを目指し活動。

Twitter : https://twitter.com/taekoendo

永山愛樹 PROFILE

Photo by 宇宙大使☆スター

ORdERを経て、1999年、愛知県豊田市にてTURTLE ISLANDを結成。様々な土着楽器と西洋楽器を駆使し、日本やアジア、モンゴロイドのグルーヴと、ロックやパンク、レゲエ、民謡、各国土着音楽まで飲み込んだ極東八百万サウンドで、海外ツアーも積極的に行なう。TURTLE ISLANDのメンバーである竹舞とのアコースティックセットALKDO、ボンクラ峠でも活動。2012年から続く「橋の下世界音楽祭」運営。豊田の「橋の下舎」を拠点に地元から全国各地、世界に向けて発信中。

TURTLE ISLAND HP : http://www.turtleisland.jp/

microAction HP : http://www.microaction.jp/

[連載] OKI DUB AINU BAND, OLEDICKFOGGY, 民謡クルセイダーズ

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