中川敬4thソロ、1週間先行&独占配信──新たな表現の幅へとたどり着いた奥深きバラッド集

ソウル・フラワー・ユニオン、中川敬の4枚目のソロ・ワークとなる『豊穣なる闇のバラッド』がリリース。本作は、ここ最近、ソウル・フラワー・ユニオンとは別に、ある意味でもうひとつのライフワークのように行っている弾き語りライヴをひとつの起点とした作品と言えるだろう。シンプルにギターと、歌、そして彼の言葉から生み出される情景たち。それはさまざまな音楽が詰まったソウル・フラワー・ユニオンとも違った、むき出しの中川の歌手としての存在感が浮き彫りになっている。OTOTOYでは本作を独占配信、さらにはフィジカル・リリースより1週間先行、本作をもっとも早く聴けるのはOTOTOYだけ!
OTOTOY独占配信、さらに1週間先行
中川敬 / 豊穣なる闇のバラッド
【Track List】
01. あばよ青春の光
02. 虹の原っぱ
03. ハクモクレンが空を撃つ
04. 倒れた者たちの祈り
05. バルカンルートの星屑
06. あの夏とあの河とあなたの声
07. ハベルの路
08. 豊穣なる闇
09. 黒の舟唄
10. ニュー・モーニング
11. 接吻
12. 青天井のクラウン
13. 報道機関が優しく君を包む
14. 真空の路地で人が詩になる
【配信形態 / 価格】
16bit/44.1kHz WAV / ALAC / FLAC
AAC
アルバムまとめ購入のみ 2,160円(税込)
中川敬『豊穣なる闇のバラッド』オフィシャル特設ページはコチラ
ライナーノーツ、豪華アーティスト陣からのコメント、ライヴ・スケジュールなどを掲載
INTERVIEW : 中川敬
ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬は、どんどん「生」になっていく。でもその「生」は、ちょっと怖いけど、とても人懐っこくて、力強くて、やさしい。世界中でもめ事が起こってて、日本もその渦中にいて、政治家はどんどん不祥事で辞めてって…… そんな世の中だからこそ、中川敬の唄は強く我々に響く! 今作『豊穣なる闇のバラッド』は、そう感じさせてくれるどでかい1枚だ。
インタヴュー : 飯田仁一郎
「次のステージに立てたな」と思える作品

──めちゃくちゃ良い作品をありがとうございます。
中川 : 今回は自分で「次のステージに立てたな」と思える作品で。普段から、もっと物語を歌いたいと思っていても、日本語詞の構造上、抽象概念が強い歌詞になる傾向があって。これまでも「松葉杖の男」「そら」「パンチドランカーの夢」「満月の夕」とか、バラッド的な曲もあるにはあるけれど、アルバム全編となるとなかなか、ね。3年前からひとりで全国を弾き語りでまわるようになって、まず具体的な物語があって、自分がその曲の内容を歌うように語れる、自分にもっと距離が近い曲をどんどん書いていきたいな、という欲求が強くなってきてて。
──なるほど~。それは技術的な問題ですか、それともなにかの影響の問題?
中川 : 弾き語りをはじめて、知らないうちにシンガー・ソングライターとしての自分の振り幅が広がったのかもしれない。あとはもちろん、そうなりたいという自己願望やね。若い頃からボブ・ディランやジョニ・ミッチェルを聴きながら、英語圏の人間みたいにもっと具体的な物語を歌いたいけど、日本語っていう言語ではなかなか難しいなあ、って。
──ツアーでできるようになっていったのは、なにかきっかけがあるんですか。
中川 : 俺の場合、弾き語りって、まさに「語って歌う」世界で。弾き語りを始めてから「こんなことを語りたいな」というのと、「こんなことを歌いたいな」というのが同一化してきてて、そういう意味での最初のアルバムになるね、今作は。弾き語りになると、MCが長いときは長い。そこから新たな世界に広がってきてる。このあたり、もっと追求したいな。
──MCが長いときは長い(笑)。語りたいことは増えたんですか。それともずっと語りたいことはあった?
中川 : 語りたいことがあっても、ロック・バンド形態やと限界があるでしょ。俺が喋ってる間に、あとのメンバーはステージ上で待ち続けなあかん(笑)。それに、別にジャーナリストでもないし、お笑い芸人でもないし(笑)、いわばパンク歌手やからね、俺は。弾き語りをはじめて、「大型新人フォーク歌手」になって(笑)、このトピックで曲を1曲書きたいなと思ったらパッと書けるようになってきた、ということやね。あとは、なんといってもバンドと違うのは、曲が書けたらそのまま録音に入ってしまえるところ。これが実は重要で、バンドでやる時は歌詞やアレンジを含めてひたすら推敲を重ねる作業で、歌を録る寸前に歌詞世界が決定する。自分のソロなら、録音するまでの間にそういうリライト作業がない。そこにおもしろみを感じてて。物語であることに加えて、日記を書く感じに近い。
──今作にアルバムのテーマみたいなものはあったんですか。
中川 : サウンド的な部分で、あった。日本のロック文化の中やと、バンドのヴォーカリストがアコースティックをやるっていうのはどうしても「片手間」みたいに思われてしまうわけ。それに対して「ここまで心を砕いて本気でつくってんのに、ちゃんと聴いてくれ」っていうのがあって、音響面含めて、1枚1枚、気持ち入れてコンセプトを立ててやらなあかん、というのはある。
──なるほど。
中川 : で、今作。1986年のニューエスト・モデルのソノシート『オモチャの兵隊』以来俺はキーボードの入ってない作品をつくってないな、と一昨年あたり、ふと思ってね。そこで、キーボードがないサウンドの中で自分の声がどう響くのかという好奇心もあったし、それで今作はピアノやオルガン、アコーディオン等はなしでいこうと。あと、こうなったら、フィドルや笛系も入れずに、俺のアコギとゲスト・ギタリストのみの、竿もの中心でつくってみよう、と。
──信じられないほど上手いギターが何人かいましたね(笑)。あれは、中川さんではないと思うのですが……。
中川 : どう聴いても中川敬ではない瞬間があるよね(笑)。まず、ザ・グルーヴァーズの藤井一彦と、ヒックスヴィル、オリジナル・ラブの木暮信也くんの2人はパッと思い浮かんで。あと、冬に佐藤タイジのライヴにゲストで出た時、楽屋で「参加して~や、ギャラはあんまりないけど(笑)」「おもろそうやな~、音源送って~」みたいなやりとりのあと、シアターブルックのタイジが決まって。
──竿もの中心の作品にしようと思ったのはなんでだったんですか?
中川 : 1998年のソウルシャリスト・エスケイプ名義の『ロスト・ホームランド』を入れて、既に4作、ソロ・アルバムをつくってきて、常にやってないことをやりたい、というのがある。前作は船戸博史くんに全曲ウッドベースを弾いてもらったけど、今回はベースもなしにしようと。よりシンプルに行こう、と。
「個人的には」って変な物言いやと思わない?

──ツアーでずっと回っているとき、特にこの2年とかってどんなことを想いながら回っているんですか。
中川 : その土地土地の空気・文化をしっかりカラダに浴びたいな、と。どうしてもバンドやと大都市に偏ってしまう。1人の場合、俺はスタッフも連れていかないから、結構それぞれの街をうろうろできて、ちゃんと感じたい、楽しみたいと思ってるんよね。
──なるほど。ツアーの土地土地でっていうのは、この曲でも描かれているように、いろんな光景があるものですか?
中川 : とはいえ、最近、どこに行っても「日本やなあ」とか思うけどね。景色がどこ行っても一緒、小泉時代の規制緩和以降。どの町に行っても商店街は潰れまくってて。だから、より、いろんな人間に出会えるという喜びの方に気持ちが集中する、というか。
──わかりました。ちょっと曲ごとにいってみましょうか。そんな土地土地の想いが詰まったアルバムを、それぞれ解説いただきたいです。「あばよ青春の光」は、ちょっと詩を読ましてもらったんですけど、肯定ソングなのか、ネガティヴ・ソングなのかわかんなくなっちゃって。
中川 : その二項には分けられないんじゃないかな。あらゆる感情がこの曲の歌詞には入ってて、自分のことのみならず、同世代のこと全般を歌ってるような感じがある。結構、俺の生きる上での哲学が入ってる曲やなあ、と。ソウル・フラワー・ユニオンの『宇宙フーテンスイング』の中で〈嗚呼、未来が闇なら素敵 みんな輝いているから〉っていう歌詞があって、あの感覚がまた顔を出してる。なんか、シンガー・ソングライターってみんな、光ばっかり追い求めてるやん(笑)。すでに自分が輝いてるんやから、がんがん闇の中に入っていこうぜっていう、実に俺らしいテーマ。
──へぇ。
中川 : あと、なかなかシャキッとしない同世代へのエールというか(笑)。相対主義の世代で、バブルも知ってて、90年代のサブカルもかじってて、どっちもどっち論者になって、語調統制というか、トーンポリシングばっかりやってる感じ。
──なるほど。
中川 : 文章を書く時、Twitterとかもそうやけど、この10年ぐらい俺がよく感じるのは、別に個人として書いているのにも関わらず「個人的には」って付け加える感じが増えたよね。変な言葉。そのぐらいしんどい日本的集団社会があるのかなっていうところに行きつくけど…… 。「個人的には」って変な物言いやと思わない?
──「個人的にはそう思います」って書かないと、みんなに言えないってことですよね。
中川 : 団体の代表として書くのならわかるけど、完全に1人で自分の言葉を書いてるときにも「個人的には」って入れなければならないような気分になる心性と社会。そういう諸々が入ってる曲やね、この曲は。
──「虹の原っぱ」は亡くなった人の追悼ソングということなんですけど、あえてこのタイミングで歌いたくなったっていうのは。
中川 : いや、ひょっこり出てきた感じ。自分の人生で強く印象に残ってる3人やねんけど、歌にはしてなかった。この数年、反原発デモや反レイシズムの現場へ行く機会が多くて、そこでLGBTのレインボー・フラッグが上がってて、それを見るたびに思い出すやつらのうちの3人が曲になった。このうちの2人は自殺して既にこの世にいないんやけどね。
──その人たちは随分若い頃に亡くなっちゃったんですか?
中川 : 1番の歌詞は俺が小学校高学年の頃の話。2番は10代後半、大阪のロック喫茶でバイトしてる頃、数歳上の在日コリアンで、グラム・ロックをやってて「おい、中川、奢ったるから飲みに行こうや」ってしょっちゅう俺を朝まで連れまわす先輩的な男がいて。酔っ払ったら「ニューヨーク・ドールズとシルヴァーヘッドを歌わせたら俺が大阪で1番うまい」っていうのが口癖で、17歳の俺は「それはない」って返す(笑)。まぁ、良くしてもらってね。10年ぐらい前に自殺して死んだっていう話を人づてに聞いた。3番は20代後半の頃のゲイの友人で、親との関係で追い込まれて突発的に自殺してしまった。たまに思い出すねんな、奴らを。「あいつ、そういやもういないな、また話してみたいな」っていう感覚が、ふと襲う時がある。
俺の場合、嫌なことは嫌やと言い続けるだけやからね、昔から

──なるほど。「倒れた者たちの祈り」はどうでしょう。
中川 : 本腰入れて今作をつくりはじめたのが今年の1月で、ちょうどトランプが大統領になって、ウィメンズマーチ…… 公民権運動以来の大きなデモが全米各都市で起こって、レコーディングをしながら注目してた。そんな中、SNSで車椅子にのった日系のおばあちゃんの写真を見て。でっかいプラカードを持って、そこに「1942~1946を繰り返すな」っていうようなことが書かれてた。トランプがムスリムを大戦下の日系移民のように強制収容したらいいっていうようなふざけたことを選挙戦の中で言ってて、そのプラカードはそれに対するカウンター。真珠湾攻撃があって、1940年代当時、日系1世2世は日米どちらに忠誠を誓うのかっていうことをアメリカ政府から問われて、一部どちらにも忠誠を誓わないって答えた人たちがいてね。その人たちが「ノーノ―ボーイ」っていう具合に、アメリカ人からも同胞からも揶揄されたわけ。当時日系移民の多くはイタリア戦線や沖縄戦線に従軍してて、終戦後、ノーノ―ボーイって呼ばれた人たちはある種白い目で見られる。そのあたりの日系移民の青春を描いた小説の復刻版をちょうど読み終わった時期でもあって(編注 : ジョン・オカダ著『ノー・ノー・ボーイ』)。これは、いまに繋がってる話やなって思いながら書いた。
──確かに、世界中で変な波がきているように感じます。
中川 : オバマ時代、自分が取り残されてるように感じた連中が危機感を感じて徐々にフェイクニュースとともに排外主義者になっていく構図。日本の状況もちょっと似てる部分がある。民主党政権化、下野してた自民党が、気が付いたら以前とは全く次元が違う極右排外主義政党に変わってたっていう。リベラルが台頭した後のバックラッシュに、東日本大震災のショック・ドクトリンが乗っかってる。
──そういう大きい波がね。所謂みんなトランプさんが通らないと思っていたし。たぶんそれが大きいうねりで、それに対して我々がどうするのかって。
中川 : 声を上げ続ける。WE INSIST。まあ、俺の場合、嫌なことは嫌やと言い続けるだけやからね、昔から。
──まあその部分、何かを言うことも、反発があったりとかしますよね。メリット、デメリットの話じゃないですけど。
中川 : 人気稼業の人間は口を閉ざした方がラクに生きていける社会。飯田くん、覚えておきや(笑)。音楽に政治を持ち込むな(笑)!
──それでもやっぱり中川さんはそこに迷いがないですよね。
中川 : 迷いがないというか、どうにもならんよね、中川敬やから、これは(笑)。若い頃はちょっと考えたこともあったけどね。阪神淡路大震災が起こって、モノノケ・サミットをはじめて、民謡をとりあげたりしはじめて、各音楽雑誌が以前ほど取り上げてくれなくなりはじめたりとか、ファンもいろいろ言いはじめたりとかした時期に、「もうちょっとうまいことやるべきなんかな」って、メンバーやスタッフの生活のことも考えてみたり。でもあの頃も「中川敬やからしょうがないな」って、これがいつも結論やね(笑)。俺は俺でしかない。
──(笑)。「バルカンルートの星屑」のことも書いていただいてますが。
中川 : この曲はかなり「書けた」感があった。メロディ、構成、歌詞含めて、30分で曲が仕上がった。そのスピードは、「満月の夕」「そら」「荒れ地にて」あたりと同じ。曲の完成する速度って、書いた当人からしたらでかいことで、そういう曲はほぼずっと歌い続ける曲になる。ちょっとうれしくて、思わず作業場からパソコンとギターを家にもって行って、「聴いて、聴いて! いま30分で書いてん!」って家族の前で歌ってみたり(笑)。
──それは何かきっかけあったんですか
中川 : ここ数年、ずっと難民問題を追いかけてて、言葉が零れ落ちんばかりに出てきた。再度事実確認したのは「8つの国境、9つの国」っていうところ。誰か聴いて! ってそのまま駅前に歌いに行きそうな高揚(笑)。バラッドで物語形式やから、字余り一切なしに歌詞が旋律に上手くハマると、俺は踊って喜ぶ(笑)。
──それはもうテクニックの問題なんですかね?
中川 : わからない。俺は9割方メロディが先で、旋律が喚起する世界感を絞り出すように歌詞を書く人やから、自分ではたまたまとしか言いようがないな。
──なるほどなるほど。「あの夏とあの河とあなたの声」は?
中川 : 10代の頃からスモーキー・ロビンソンが大好きで、この曲はちょっとスモーキー節やね。で、ラヴ・ソングを書こうと。ところが、自分の中から人に聴かせたいラヴ・ソングが出てこない、残念なことに(笑)。他人事にして書けばいいのに、それもやらない。その辺が中川敬が中川敬たるゆえんで、売れない大きい要因かもしれない(笑)。
──(笑)。
中川 : 曽我部(恵一)とか、なんかずるいよな。「こんなロマンチックな恋、お前がしてるわけないやんけ!」っていう歌詞を書くよね…… してるんかもしれんけど(笑)。我ながら酷いことを言ってるな(笑)。だから、「ラヴ」を歌いたくなったらカヴァーをする(笑)。
──今回もしてましたね(笑) 。
中川 : で、この曲は、沖縄戦を体験したおばあちゃんたちの顔が浮かんできて。辺野古で、コザで、宜野湾で、那覇で、いままで出会ったおばあちゃんたちのことを思い描きながら、最終的に、おばあちゃんたちの人生、青春時代の情景を混ぜながら曲を書くことになった。
──これはじゃあ中川さんが一緒に喋った経験とかが入ってるってことですか。
中川 : いろんなところで、おばあちゃんたちと出会って、当然いまの70代後半以上の沖縄の人たちって本当に過酷な体験をしてる。それこそ家族や友人が死ぬのを目の前で見たような人たちがたくさんいて。相当深い傷を心におってるのにもかかわらず、笑いに転化して喋るおばあがいたり。それまで豪快だった人が沖縄戦の話になると何も喋れなくなったり。そういう人たちがいま、二度とこの地を戦場にしない、あるいは、戦争に加担しない、という思いで、ずっと辺野古や高江で基地反対運動をやってる。
──8曲目の「豊穣なる闇~少年刑務所受刑者の詩」これはタイトルとも紐づいてくるのかなと思ったんですけど。
中川 : 年頭にたまたま買った1991年刊行の少年刑務所の受刑者の詩集があって。罪を犯してしまった子どもたちやね。その中の教育の一貫で「詩を書かせる」というのがあって。詩なんか書いたことのないような子どもたちが、自分の内奥から振り絞るように詩を書いてる。そこには「詩人さま」が書くような高尚な言葉は全くなくて、むしろ稚拙な言葉が書き散らかされてる感じなんやけど、俺は胸を打たれてね。91年刊行っていうことは俺のちょっと下の世代やから、自分がガキやったころ、昔悪さばっかりやってた友人たちを思い出したりしながら書いた曲。歌詞の中の「風に散らない 花になりたい」っていう一行だけは、実は詩集から頂いてて。俺はこの刑務所を出たら、次は絶対まじめに働くぞと一度は誓うねんけど、結局また戻ってきてしまう、そんな自分をなげいてる一行やね。社会に居場所がなくて、結局何度も刑務所に戻ってきてしまう。育った環境とか、その犯罪に行きつくところにそれぞれの人生がある。それを具体的に書いてるわけではないけれど、詩から立ち上ってくる。
「黒の舟唄」と「接吻」を続けてやれる歌手は世界で俺だけ

──次の曲からカヴァー・シリーズが始まりますが、ソロ作でもカヴァーを入れる理由とかあるんですか。
中川 : 発売があと3ヵ月先やったら全曲新曲になってたかもね。弾き語りをやるようになって、「歌手中川」という要素が自分の中で強くなってきてる。ライヴでこの2年ぐらいやってたカヴァーやセルフ・カヴァーの中で、「自分のものになったな」って思った曲をいつも録音してる。まぁ、実は去年ずっと弾き語りで歌ってたデヴィッド・ボウイの「チェンジズ」の日本語ヴァージョンを入れたかったんやけど、これは残念ながら許諾がおりなかった。
──なるほど。そんな中で野坂さんや田島さんの曲を。
中川 : 「“黒の舟唄”と“接吻”を続けてやれる歌手は世界で俺だけ」とかMCで言いながら一時ライヴでよく歌ってた(笑)。同じ国のラヴ・ソングとは思えない(笑)。子供の頃に長谷川きよしさんのレコードが家にあって、「なんか暗いし気持ち悪い曲やな」って思ってたけど(笑)、頻繁に聴いてるうちに好きになって。今回は野坂昭如さんが亡くなって。彼が仲良かった永六輔さんは震災後の神戸でよく一緒になったし、小沢昭一さんは雑誌対談したりしたけど、野坂昭如さんに関しては一緒に仕事をする機会がなかった。あの世代に対するリスペクトでカヴァーしようということもあった。
──なるほど。田島さんの方は?
中川 : 10数年前、下北沢で飲んでたらたまたま会って仲良くなって。ニュー・ソウルとかモッズ・ミュージック好きで、沖縄民謡も大好きで、単純に音楽の話で盛り上がったんよね。で、冗談半分マジ半分で「“接吻”のメロディ好きやからそのうちカヴァーさせてもらうわ」とか言ってたんよ。まあ、正直ずっとそんなこと忘れてて(笑)、去年〈ROOTS66〉で会って、その件を思い出して。で、NHKの収録で会った時に、スマホに入れてたラフミックスを田島に聴かせたら「お、爽やかだ! 売れそう!」って(笑)。藤井一彦が最高のガット・ギター・ソロを弾いてくれてる。
──本人のお墨付きが入った(笑)。最後の曲は「真空の路地で人が詩になる」。
中川 : これは、ニューエスト・モデルの頃からの俺のオハコというか、ちょっと高見から世界を見渡してるような構造になってて。こういうメロディやコード進行をつくるのは昔から好きで、ほっておいたらこんな曲ばっかり書き始める(笑)。60年代ブリティッシュ・ロックのアルバムの中にそっと入ってそうな小品。歌詞の世界は今作中、唯一バラッドではなくて、最後の締めはコレかな、と。木暮晋也くんがサイケデリックな彼らしいギターを弾いてくれてる。
──結局、全曲解説してもらっちゃいました。でもめちゃくちゃ面白かったです。ありがとうございました。
LIVE SCHEDULE
ソウルフラワー中川敬・ニューアルバム発売記念ツアー2017
~中川敬の弾き語りワンマン・ライヴ!
9月28日(木)@熊本 NAVARO
9月30日(土)@長崎パニックパラダイス
10月1日(日)@広島ヲルガン座
10月3日(火)@出雲リベレイト
10月7日(土)@神戸KINGSX BASE
10月8日(日)@徳島 寅家
10月12日(木)@入間SOSO
10月13日(金)@横浜サムズアップ
10月15日(日)@仙台 JAZZ ME BLUES noLa
10月16日(月)@高崎市 スロータイム・カフェ
10月20日(金)@那覇Output
10月21日(土)@沖縄市 中の町 Live&Gallery アルテコザ
10月26日(木)@静岡フリーキーショウ
10月27日(金)@豊橋ハウスオブクレイジー
10月29日(日)@和歌山・創‐hajime‐cafe
中川敬ワンマン・ライヴ、各会場の詳細はコチラヘ
中川敬×リクオ【うたのありか2017ツアー】
11月1日(水)@岡山モグラ
11月3日(金・祝)@福山市BoomBoomBar
11月4日(土)@博多LIV LABO
11月5日(日)@兵庫加古川ダイニングカフェ Cecil
11月8日(水)@千葉ANGA
11月10日(金)@宮城南三陸町月と昴
11月11日(土)@宮城白石カフェミルトン
11月12日(日)@水戸LIVE MUSIC PUB Paper moon
11月19日(日)@代々木Zher the ZOO
ゲスト : 佐藤タイジ(シアターブルック)
11月20日(月)代々木Zher the ZOO
ゲスト : TOSHI-LOW(BRAHMAN)
11月22日(水)@長野ネオンホール
11月23日(木)@名古屋得三(TOKUZO)
11月25日(土)@京都磔磔
ゲスト : 片山尚志(片山ブレイカーズ&ザ☆ロケンローパーティ)
11月26日(日)@京都磔磔
ゲスト : TOSHI-LOW(BRAHMAN)
うたのありか2017ツアー、各会場の詳細はコチラヘ
ソウル・フラワー・ユニオン / 年末ソウルフラワー祭 2017
12月9日(土)@下北沢GARDEN
12月16日(土)@大阪umeda TRAD
12月17日(日)@名古屋CLUB UPSET
全公演共通 : チケット一般発売日 2017年10月14日(土)
ソウル・フラワー・ユニオン / 年末ソウルフラワー祭 2017、各会場の詳細はコチラヘ
PROFILE
中川敬 NAKAGAWA TAKASHI
ロック・バンド“ソウル・フラワー・ユニオン”のヴォーカル、ギター、三線。前身バンド“ニューエスト・モデル”に始まり、並行活動中の“ソウル・フラワー・モノノケ・サミット”や弾き語りソロなど、多岐にわたる活動で、作品やライヴを通じて多くの人々を魅了している。トラッド、ソウル、ジャズ、パンク、レゲエ、ラテン、民謡、チンドン、ロックンロールなど、あらゆる音楽を精力的に雑食・具現化する、これらのバンドの音楽性をまとめあげる才能をして、ソング・ライター、プロデューサーとしての評価も高い。 また、阪神淡路大震災の際、民謡や戦前流行歌などをレパートリーに、避難所、仮設住宅、復興住宅などで二百回を越える出前ライヴを行ない、このたびの東日本大震災においても、東北各地の避難所、仮設住宅などで三十回ほどライヴを行っている。「満月の夕(ゆうべ)」は、1995年2月、神戸の避難所で生まれた名曲である。東ティモール、パレスチナ難民キャンプ、フィリピン・スモーキーマウンテン等、世界のマージナルな場所でのライヴも敢行している。 2015年から本格的に弾き語りで全国ツアーを開始。2016年はニューエスト・モデル結成30周年、2017年10月に第4弾ソロアルバム『豊穣なる闇のバラッド』をリリース。